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好きだと決めた

たけのこさんが、愛を「姿勢」と言っていたので、私は「意志」だと言おうかと。

これはまあ、夫と出会ってから、夫という人を見て、大発見をしたんですよね。世紀の。



「本当に好きかどうかわかんない」
「気持ちが冷めた」

みたいなことって、よく言うじゃないですか。だいたい、女子高生あたりが。

少なくとも高校時代の私なんかは、律儀に胸に手を当てて、「これは本当に好きってことなのか…? どうなんだ…?」と、小一時間、勉強そっちのけで悩んだことも、あったような気もするしなかったような気もする。


要するに、「好き」ってのは感情じゃないですか。だから当然、「愛」もその続きに存在すると思っていたわけ。

でも、夫と出会って、彼を見て気づいたんです。
あー、この人、感情で動いてないな。意志だな。って。

好きでいると決めたから、好き。

一見、女子ウケ最悪なこのフレーズ。
なに?! じゃあ気持ちでは好きじゃないってこと!? って、とくに女の子は嫌がると思うんですけど。

わかる、おばさんも、そんな時代がありました。
気持ちがとにかく大事だ! って。

だから、「身体の浮気は許せても、心の浮気は許せない」みたいな謎の定義が出来たりするんですよね。

だけどね。

感情にコントロールされる人間であるか、感情をコントロールする人間であるかは、これはとても重要なこと。

信頼を、裏切られるかもしれないわけだから。


そこからね、感情の領域意志の領域を分けて考えるようになりました。

推しについても、そう。

だいたい私が何か好きになるときって、ブワーっと、頭から湯気が出るような、「好き…圧倒的に好き…死ぬ…」みたいな暴走列車の第一期と、だんだん見慣れてきて、「スン」と温度が落ちて、「じわじわと好き」「やっぱり帰ってきちゃう」「なんだかんだで好き」みたいな余裕のある第二期に分かれます。

私なんかは本当に極端なタイプなので、「スン」が来たら、「ああ、憑き物が落ちたな」「予定通り」「感情の暴走おわり」と、自分の中で一区切り。

そこから、賢者になった頭で、本当にその対象を「推す」かどうかを考えるのです。

自分の「意志」として、髭男を推したいか。

そう考えて髭男を推すことに決めたし、これは意志なので、そうやすやすとは覆りません。私のコントロール下にあるものです。



というわけで、私は「愛」を「意志」だと思っています。
意志のない愛など要らぬ。

とはいえ、夫にその話をすると毎回、「でも普通に(感情として)好きなんやけどなあ…」と首をかしげられます。

なにを信じるかは、あなたしだい。


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坂 るいす
いつもありがとうのかたも、はじめましてのかたも、お読みいただきありがとうございます。 数多の情報の中で、大切な時間を割いて読んでくださったこと、とてもとても嬉しいです。 あなたの今日が良い日でありますように!!