ミレーナで骨盤内炎症性疾患からの腹膜炎になった話
二人目を産み終わって産科で子宮を診てもらうと、少し腫れぼったいと言われた。33歳のときだった。
それ以降、定期的に婦人科などで診てもらっていたが、幼気な私の子宮が腫れぼったいのはどうやら間違いないらしい。
子宮腺筋症といって、内膜症の仲間でしょう、と医師は言った。
母が子宮内膜症で苦しんで最終的に子宮摘出手術をした人だったから、私も警戒はしていた。
だから出来るだけ子どもは早く産みたかったし、ちょうど2人産み終わったところで、なんとか間に合ったというところだろうか。
しかし早い。まだ30半ばなのに。
ここから閉経まで、この腺筋症との戦いになるのかと思うと気が滅入る。経血量も増えてきた。
なにか手を打たねばと、婦人科を訪れた。
担当の医師に、近頃みやこで流行りと噂のミレーナとやらを入れたいです、と訴えてみたところ、「まだ若いし、気が変わって妊娠したくなるかもしれないから」と、ディナゲストというホルモン薬を処方された。
薬を飲むのは慣れているし、これで済むなら楽なものだワと飲み始めたが、体調は徐々に悪くなっていった。
たしかに生理は来ない。それは良い。
しかし薄皮をめくるように少しずつ、身体のパフォーマンスが落ちていく。
寒い。だるい。便秘。
常軌を逸した厚着で、お地蔵さんのようにじっとしていることが増えた。なんだか気分も塞いできた。
生理が来ないということは腺筋症にも良いはずだからと、諸々の不調を見て見ぬふりして過ごして2ヶ月。
無理だ。限界だ。とついに白旗を上げた。
再び婦人科へゆき、ディナゲストをやめ、諸人すなるミレーナというものを拙者もやりたいでござると訴えたところ、それならばと内診台に通された。
ウィーンパカっとお股が丸見えになるアレ、内診台。確かに恥ずかしいかもしれないが、ここまでしてお股の面倒をみてもらえるなんて、現代日本はなんてありがたいのだろう。
そして格闘が始まった。
ミレーナさんはちっこいらしいのだが、引っかかってなかなか入ってくれない。先生が何度も「ツカハラ」というもんだから塚原という先生が応援に来るのかと思ったら、器具の名前だった。
ツカハラで子宮を引っ張ったら入ったよ〜と先生は言っていた。男の人はたぶん、尿道の中の壁を引っ張られたと想像したら良いと思う。
経産婦の私でも、でかいうめき声が出た。出産に比べたら余裕、と思って耐えた。
そうしてミレーナ氏は私の子宮内に綺麗に着地した。説明によると、ここから5年くらいは保つらしい。はてさて、これから何年の付き合いになることやら。
と思ったらなんと1ヶ月ももたなかった。
副作用とされる多少の出血はあったものの、1週間程度で治まり、特に問題なく3週間が過ぎた。ディナゲストによる代謝の低下も少しずつ回復してきた。と、思っていた。
幼稚園からもらった風邪で、予定していた温泉旅行がポシャった頃だった。風邪も治りかけてきたある日の深夜、謎の腹痛に見舞われた。
私は過敏性腸症候群もちだし、生理もあるし、一応出産もしているし、たいがいの腹痛なら経験をしている。しかしその時の腹痛はこれまでに経験したことのない痛みだった。
腹膜というのか、なんせ腹筋のあたりが全体的に痛い。
はじめは咳をしすぎたのかと思った。咳をしすぎて腹筋が筋肉痛になったのかと思った。
に、しては痛い。
ひとまず浣腸をして、風邪の不調で溜まっていた便を出してみた。
引かない。ただ少しスッキリしただけで、腹筋の痛みは何も変わらない。どうやら便のせいではないらしい。
歩くにも背中を丸めてしか歩けなくなってきた。
しかし怖いもので、私にとってこのくらいの痛みは耐えられなくもないのである。女の人生、痛みが多い。
とはいえ、耐えられるからといって耐えていいものでもない。違和感を感じたらちゃんと受診するが信条のわたしは、お腹を庇いながらかかりつけの消化器内科へと赴いた。
かかりつけのこの内科は口コミが悪い。なんでも、看護師に辛く当たったことがあるそうだ。
先生は早口で頭の回転が早く、せっかちで温かいエネルギーを持ち、文句はすぐ口から出る。呼び出しの名前が早口すぎて聞き取れず、患者は皆、「私でいいんだよね…?」と不安そうに診察室の戸を叩く。
なにか問題があればすぐに大きい病院へ紹介状を書き、古巣であるその病院の対応が遅いと、待合室筒抜けの声で「なんだよもう!」とぷりぷりする。大腸内視鏡を撮ったときには、「これはあなたのデータだから」「本来はあなたが持つべきものだから」とデータをくれた。
医療者としての信念のある人だと私は思っている。
そんな先生のところへいくと、軽い問診の時点で「えぇ!?」と嫌な(予感の)顔をされた。ベッドに横になって触診するやいなや「うわこれ痛いでしょ!? 腹症だ腹症。急性腹症。CTとらないと」「◯◯さーん!腹症だから!連絡いれて!」とでかい声で騒ぎ始める。
盲腸かと思ってたんですが…
さいきん、酵素風呂に入ったからかなあ…
などとブツクサ言う私を尻目に、せっかちな先生が更にせっかちにパソコンを叩き、あっという間に私は診察室を出された。痛みでうめく私を看護師さんがベッドへ寝かせてくれ、紹介先の病院の返答を待つ間にタクシーを手配してくれる。
ベッドの上で、ああ、やっぱり痛かったんだ、助けてもらえるんだと理解したとたん、涙が出そうになった。
そして、「いらない情報だとは思うんですけど」と前置きして、そういえば実はちょっと前にミレーナを入れていますと看護師さんに申告して、かかりつけをあとにした。
その日は休日だった。
総合病院につくと、救急の先生が対応してくれた。痛み止めと補水をしながら、血液検査と尿検査、そして造影剤ありのCTも撮ってもらった。妊娠検査薬もした。直近の性交渉がないことを伝えると意外そうな反応をされ、真意を測りかねたが、どうも感染を疑っていたらしい。
生モノを食べたり、子供らに胃腸炎を疑う感染がないかなども聞かれた。風邪を引いたことや、ミレーナを入れていることも、ちゃんと伝えたと思う。
問診と検査を終え、痛み止めで腹痛が和らいだ私はベッドの上でしばし気を失った。起きると、なにやら先生が他の先生と困った顔で長いこと話し込んでいた。
煮えきらない顔のまま、やっとこ私の前に座った先生は「腸は浮腫んではいるので……まあ腸炎でしょう」と煮えきらない口調で言った。
炎症の値は少しだけ高く、左の卵巣がちょっとだけ腫れている。これは今回のことには関係ないと思われるが、念の為、週明けに婦人科を受診してください。
なんだかハッキリしないなあと思った私は、「昨日の餅3個が多かったんかなぁ」と夫にメッセージを送り、ありがとうございますと病院を出て、ビオフェルミンの処方を受けて帰宅した。
判然としない診断だったが、少なくともヤバそうな状態ではなさそうということが分かったので良しとしよう。
腹痛はゆっくり、波が引くように少しずつ治まっていった。
なんだったんだろうね。私ってばお腹弱いからね、と夫とはそういう話でいったん収めることにした。
婦人科へは、週末にミレーナの経過観察でかかる予定だったので、その日を待って行くことに。
もちろん、先生には急性腹症とやらで救急へかかって大変だったと話した。ミレーナを入れたその先生は、卵巣の腫れは治まっているし、ミレーナは関係ないでしょうと言った。
ですよねえ、と私は頷き、素直に帰宅。
きっとこれは消化器の問題に違いないから、消化器内科に行かないと。代謝が落ちた関係で、過敏性腸症候群が悪化しちゃったのかなあ。別の薬も出してもらいたいなあ。
そんなふうに思って、かかりつけの消化器内科に予約の電話をしたら、「前回の症状の話でしたら、紹介先から検査結果の情報がまだ返ってきていないので、少しお待ちください」とのことだった。
へ? こういう場合って、総合病院が町医者に検査結果返すものだっけ…??
またも、受付のお姉さんを使って総合病院にせっついているせっかち先生が目に浮かんだ。
折り返しかかってきた電話で、お姉さんは「すみません、担当だった先生が休みの日を挟むみたいで、週明け…火曜なら確実に結果が戻って来ると思います」と云った。
なるほど、月曜のあいだにお姉さんが総合病院に電話かけて、せっついてくれるわけですね? 総合病院の先生が、なんだよ面倒くさいないちいちそんな時間ないよとボヤく声が聞こえる気がする。
いやほんとありがとう。全員ありがとう。
そうして迎えた火曜日、診察室に訪れた私を見るやいなや、ドアの閉まるのも待たずにせっかち先生は「ミレーナでしょ!」と言った。
私は動揺した。
ええ…でも、なんか、救急では腸炎だと言われて。
先生の手元には、総合病院から取り寄せた件の検査結果と医師のコメントがある。その数値を叩きながら、先生は早口で説明する。
「ミレーナ入れたんでしょ? 絶対それだよ。あのね、骨盤内炎症性疾患というのがあるの、PIDっていうんだけどね、PIDになって、それでああやって腹症を起こしてたのね。そういうのがあるの。感染しちゃってそういうふうになるの。まあミレーナって身体にとっちゃ異物だからね」
えぇ…? え、っと、過敏性腸症候群のせいなんじゃ…
「いやいや。あのとき、痛かったでしょ? 普通じゃなかったでしょ? 普通じゃないから紹介状書いたんだから」
「だからね、抜いたほうがいい。ミレーナ抜いたほうが良いよぜったい」
えぇ〜…でもとりあえず、過敏性腸症候群の薬も増やしてもらえませんか? そっちも試したくて。
「いいよ! それは別にいいけど、ぜったい抜いたほうがいい。あのね、ミレーナは異物なんだよ、身体にとっては。異物だからね、今回みたいに炎症起こしたりするの。そうなの。ぜったい抜いたほうが良いよ」
先生は総合病院から取り寄せたレポートを差し出した。
「内科でそう言われましたって、婦人科でそう言って。これ持ってそう言ってきて」
有無を言わせぬ勢いだった。
先生はべつに、ミレーナ反対派というわけではないはずだ。自然派というわけでもなく、むしろ薬の処方は豪快だといえる。
ただ、8年近く継続的に私の様子を診てくれている人である。きっと、この虚弱体質にミレーナは荷が重すぎると判断したのだ。
その場では「またまた〜そんな脅かすようなこと言って〜」ぐらいのテンションで話を聞いていた私だが、帰るみちみち、あの先生があれだけ言うのって珍しいよな…と気が付いた。
そうか。あれは、ほんとうに私の健康のために言ってくれている。
背筋に冷たいものが走って、私はすぐ、翌日の婦人科の予約を入れた。一刻も早くミレーナを抜去したくなっていた。
翌日訪れた産婦人科では、いつもの先生ではなく、たまたま院長先生に当たった。どうやら人気らしいことは知っていたが、診察開始1分でその理由が分かった。
せっかち先生が渡してくれたレポートを片手に、「怖かったね。せっかく生活を良くするためのものだったのに、怖い思いしちゃったよね」と慰めてくれる。優しい。なんだこの、インナーチャイルドが満たされる話し方は。
そうなんですよねえ。ちょっと怖いから、抜きたいなあなんて…
「いいよいいよ! 抜いちゃおう! すぐ抜けるしね。また入れたくなったら入れればいいんだし」
それまでの診察で、ミレーナの出し入れは慎重であるべきという雰囲気を感じ取っていた私は拍子抜けした。
エコーで子宮を内診しながら、先生は「すごく綺麗には入ってるんだけどね〜」と笑った。ミレーナはあっという間に抜け、ついでに抗生剤の塗り薬だかなんだかを塗ってくれた。
経口薬のほうの抗生剤も出そうか? と聞かれたので、院長先生も感染していたという認識だったのだと思う。
「これからどうしようね。低用量ピルを試すかな?」
うーーーーん。いったん、ちょっと立て直そうかなあ。何回か生理の様子をみて、それからまた考えようかと…思います。
「良いと思う!」
先生は満面の笑みで私の意見を支持した。すごい。このひとは、女性が婦人科で求めているものを完璧に理解している。計算の上でなされている言動であったとて、ひとつも気にならないくらいの完成度。そりゃ人気なわけだ。
ミレーナのぶんだけ軽くなった身体で私は家に帰り、せっかち先生の病院のクチコミに御礼状のような長文のクチコミを書いた。
身体のほうはそれから少し出血はあったものの、これは想定内だった。
想定外だったのは、ミレーナ抜去後わずか数日で、とんでもない量の経血が出てきたこと。これまでの20年間、重い生理により多量の経血を目にしてきた私が見た中でも、だんとつに多い量。
多いというかもはやレバー。あるいはコーヒーゼリー。いつもより黒い塊のそれは古い血であることを意味する。
コーヒーゼリー1人前がドサッとナプキンに舞い降り、私はいかにディナゲストやミレーナが身体に合っていなかったのかを理解した。
基本的に、ディナゲストやミレーナの影響を受けている間は子宮内膜は薄く保たれているはず。内膜が薄いということは生理出血も少なくなるはず、なのだ。
なのに、この量。この色。
子宮内が良くない状態だったことは火を見るよりも明らかだった。
それからの私は(私にとっての)基本に立ち返り、妊娠出産で止まっていた漢方薬を改めてしっかり飲むようになって、増加傾向にあった経血量がこころなしか改善を見せている。
ミレーナには期待していただけに残念だったが、自分の身体を知れたという意味で試して良かったし、身体に合えば良いものなのだと思う。ミレーナはやめておいたほうがいいとは言わないけれど、ここにこういう体験をした人間もいるよということで、記録を残しておきたい。
いつもありがとうのかたも、はじめましてのかたも、お読みいただきありがとうございます。 数多の情報の中で、大切な時間を割いて読んでくださったこと、とてもとても嬉しいです。 あなたの今日が良い日でありますように!!