就職氷河期に彼氏と別れたら暴力沙汰に発展したはなし。
氷河期世代をあざ笑えるのは当時の就活を受験数1桁で突破した人たちだけです。
上記は「まぁこいつらなら言うのも分かる」ラインであって許容も納得もできません。就職氷河期の犠牲者を嗤う者たちに災いあれ。
このポストを見て、ほんとうに悲しくなりました。
就活当時の私はまだリア充でしたが、就活がきっかけで別れました。
別れたあとで、彼氏との関係は徹底的に壊れました。
いま思い返しても「あれって現実の出来事だったの?」と疑問が浮かぶ展開です。
ただ、私がやってしまったお手本のような「悪い別れ方」は現在でも反面教師になり得ます。
私と彼氏の就活
当時の状況
私が就職活動に励んだのは就職氷河期の後半です。
前半より多少就職率はマシな数値ですが、当事者たちにとっては大して変わりありません。
リクナビで就職説明会の予約を取って、時には説明会直後に筆記試験を受け、良い点が取れればグループワーキングや面接に進めます。
そして面接で落とされます。これを繰り返します。
就職が決まらないまま時間だけが過ぎていきます。私の時代は大学三年生の秋から就活開始だったので、四年生に上がっても内定が取れていないのは「遅れてる」扱いでした。
周囲の就職事情
――当時私が通っていた学科は、学んだことを大学卒業後に活かすなら研究者になるか教師になるしかない、ちょっと特殊な分野です。
同級生たちは教職免許を取って教師を目指す人が多かったのですが、大半が学校に就職できず塾講師になったと記憶しています。
私は周囲から「お前は教師には向いてない」と言われまくり、自分自身そう思っていたのでIT関連企業の就職試験に挑みました。
そんなダメ人間にも当時は彼氏がいました。
同じ学科の仲良しグループのひとりです。
そのグループは学科では珍しく教師を目指すほうが少数派でした。つまり、彼氏も就活組でした。
付き合っているとはいえ「二人で同じ会社に入ろう」とはならず、個々で就活に励んでいました。
大学三年生までは必修科目があったので良かったのです。二人とも内定が貰えないまま四年生になると、研究室もサークルも住んでいる地域も異なる私たちが直接顔を合わせる機会はめっきり減りました。
彼氏との主な連絡手段は、大学支給のノートPCから送るメールでした。
私の内定
私は筆記試験(の中の性格適性検査)がわりと好きだったので、就活の数をこなすこと自体はそれほど苦痛ではなく、筆記の突破率も悪くありませんでした。
けれど肝心の面接が鬼門。
学生時代に打ち込んだことを訊かれても答えられないんです。
アルバイトは高校大学通して一切しませんでした。
所属していた漫研は年二回の会誌発行がありますが、イベント頒布は無いので面接ウケする話は作れません。原稿時期以外はゆるいサークルでしたし。
もちろん、「課外活動でリーダーシップを発揮」みたいなこともしてません。
誰もが知ってる某有名企業の最終面接まで残れたこともありますが、いきなりITではなく広告関連の質問をされて上手く答えられず落ちました。
母にめちゃくちゃ怒られました。なんでや。
就活のつらさやストレスは夜、自分が開設したオリキャラなりきりチャットで顔も知らないオンラインでの友人達と駄弁ることで晴らしてました。※ここ重要。
チャットルームでピンとこない人は、ZOOMでカメラOFFしてコメント欄だけでやりとりしている状態を想像して頂けると一番近いかと思います。
幸い、試験の点数重視で面接時に「漫画のストーリーが考えられるなら論理的思考力があるかも」と漫研所属を謎に評価してくれた会社の内定を貰うことができ、私の就活は3桁に届くことなく無事に終わりました。
その会社の説明会、最前列で爆睡してたのは秘密……ではなく割と早い段階で社内での持ちネタにしてます。
一方で、彼氏は就活に苦戦していました。
私のサイトマップ
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