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ルイーズ・ブルジョワにエネルギーをすべて吸い尽くされたはなし。

 「六本木ヒルズで何かやってるみたいだけど?」

 ソファに腰掛けてスマホをいじっている母は、私が展覧会を観るのが好きだと知っています。メルマガかYahoo!ニュースあたりで情報を見つけたんでしょう。

「評判は良さそうだけど」
「じゃあ連休にでも行ってくるかぁ」

 この時点で私の事前知識は「六本木ヒルズのオブジェを作った人の個展」のみ。

地獄から帰ってきたところ
言っとくけど、素晴らしかったわ

 という不穏なサブタイトルに「戦争関連のアートが中心かな?」と思いつつ、音声ガイド付きチケットを予約しました。


――3連休初日。

 六本木ヒルズ行きのバスがなかなか来ずにすっかりこごえてしまう、というトラブルはありましたが、久しぶりに六本木ヒルズの広場に立ちました。

ルイーズ・ブルジョワ「ママン」(1999年)

 一時期は頻繁に8本脚の下を通り抜けたものですが、このオブジェの「素性」について考えたことはありませんでした。蜘蛛がモチーフなことぐらいは知ってますが。

 いつのまに有人カウンターが消えてしまったチケット売り場を抜け、エレベーターで52Fへ。

森美術館の大きなタペストリー好き

 傘立てだったところが大型荷物用コインロッカーに変わったことにも時の流れを感じつつ、上着などを預けてから美術館の中へ。


ルイーズ・ブルジョワ「隠された過去」(2004年)

 展示室に足を踏み入れた直後にご対面する逆さの頭部。この程度は軽いジャブでしたが、最初の展示室に足を踏み入れたとたん、文字の洪水がこちらを圧倒してきました。


ジェニー・ホルツァー「ブルジョワ×ホルツァー プロジェクション」(2024年)

 壁を流れる文字列だけで脳の処理がバグりそう。

 部屋の中央に陳列されたオブジェはサイズこそ小さいなものの、人体の断片が奇妙に組み合わさったものばかり。第1章からいきなりギア上げてきた感がすごいです。

ルイーズ・ブルジョワ「見つけた子」(2001年)
ルイーズ・ブルジョワ「眼差し」(1963年)
ルイーズ・ブルジョワ「無題」(2009年)

 音声ガイドでは二階堂ふみさんの柔らかな声で「ブルジョワが直面した精神的な不安定さ」が語られます。

 壁に投影された文字列もブルジョワ自身の文章であり、空間全てが観賞者を不安定さに引きずりこもうとしているかのよう。


 続いて襲いかかる様々な「母」。ブルジョワは幼くして「母を世話する立場」となり、その母を20歳で亡くしています。

ルイーズ・ブルジョワ「かまえる蜘蛛」(2003年)

 実母の象徴たる鉄の蜘蛛のそばでは若きブルジョワが母について歌うパフォーマンスの映像が延々と流れていました。

「彼女は私を見捨てた」
「あの人は母親だった 私の母親だった人」

 殆ど叫びのような歌声は映像から離れても長いあいだ付きまとい、私の中にも存在する「見捨てられることへの恐怖」をこれでもかとばかりに刺激してきます。


ルイーズ・ブルジョワ「良い母」(2003年)
ルイーズ・ブルジョワ「自然研究」(1984年)
ルイーズ・ブルジョワ「無口な子」(2003年)

 腕がないこととうつろな表情から献身以上の自己犠牲を感じる「良き母」、両性具有のスフィンクスのような姿が母の攻撃性を表した「自然研究」、末息子の寡黙と引きこもりを理解すべく制作された「無口な子」――こういった「ブルジョワ自身の」母性に深く関係する立体作品については、(この時点では)比較的冷静に観ることができました。

 たぶん背後から聞こえてくるブルジョワの声のほうが怖かったのと、浸食度合い・・・・・が浅めだったからかと……。


ルイーズ・ブルジョワ「やり直す(内部要素)」(1999-2000年)

 奇妙に思ったのは引きこもりの次男を直接の題材とした作品がほとんど無かったこと。辛うじてブロンズ作品の「やり直す(内部要素)」が連想させる程度です。


 続いてブルジョワにとって重要なテーマ「カップル」を取り扱った作品もぼちぼち登場し始めました。

ルイーズ・ブルジョワ「カップル」(2003年)
ルイーズ・ブルジョワ「カップル」(2004年)

 布人形はやたらリアルな体系してますが、白っぽい色合いや側位のポーズが影響しているのか、人形の表情や作品の雰囲気が穏やかに見えました。

 置かれていた展示室のテーマが「自分を受け入れてくれた人や信頼関係を築いた相手」なのも納得です。


ルイーズ・ブルジョワ「彼は完全なる沈黙へと消え失せた」の7点目(1947年)
ルイーズ・ブルジョワ「ヒステリーのアーチ」(1993年)
富士山が綺麗に見えた(癒し)

 第一章と第二章のあいだに設けられた「コラム1」のエリアでブルジョワの初期絵画や富士山を眺めました。

 コラム1の音声ガイドで、ブルジョワが子供のころ彼女の父と住み込みの家庭教師との浮気を知ったことが解説されます。

 私は幸いにも深刻な不和の無い両親のあいだに生まれ育ちましたが、定年後の父に元同僚の女性個人からバレンタインのチョコ(しかもGODIVA!)が宅配されるのを見ると平穏な気持ちではいられません。

 ブルジョワが父の浮気を裏切りだと感じるのも当然だと思います。住み込みの家庭教師ってつまりブルジョワを教えてたんですよね? しかもブルジョワ子供のほうが母の面倒を見なければならない。なにせ精神的な逃げ場が無い「彼女は私を見捨てた」のですからね。そりゃトラウマになりますって!

 第2章冒頭の解説文では更に、父の死後ブルジョワが鬱病を患い精神分析を受けたことが明かされていました。

 そして、ここから展示内容は更に不穏さを増していくのです。


ルイーズ・ブルジョワ「無題」のうち1作(1998-2014年)

 赤いホログラムというだけで不気味なのに、ベッドの上の足という性的関係を暗示するモチーフで「ブルジョワの父の不倫」を連想し更に陰鬱な気持ちになりました。まさか不倫関係に気付いたのってそういう……?


ルイーズ・ブルジョワ「どうしてそんなに遠くまで逃げたの」(1999年)

 布でできた頭部もシンプルに気持ち悪い。


 更に進むと、最初の展示室が可愛く思えるほどあからさまに性的なモチーフの作品が続々と現れます。

ルイーズ・ブルジョワ「眠りⅡ」(1967年)
ルイーズ・ブルジョワ「少女(可憐版)」(1968-1999年)


ルイーズ・ブルジョワ「父の破壊」(1974年)

 その中でひときわ重苦しさを放つのが「父の破壊」。子供時代のブルジョワの幻想――母と子供たちが父を解体して食べる――が基になったとあり、ブルジョワが父に抱いていたであろう憎しみの重さに観ている方が潰されそう。


オレンジのエピソード:
「ルイーズ・ブルジョワ:蜘蛛、愛人、オレンジ」より抜粋(2008年)

 同じ展示室にはブルジョワが父の思い出について語る映像が流れています。語りながら涙ぐむブルジョワの姿が彼女のトラウマの深さを見せつけてくるので、ブルジョワが作品を通して発揮する攻撃性を否定することも受け流すことも私にはできませんでした。


 じっさい少し先の展示室にですが、壁にブルジョワの言葉が記されています。

「攻撃」しないと、生きている気がしない。


 他に受けたダメージが大きかったのは「カップルⅣ」。

ルイーズ・ブルジョワ「カップルⅣ」(1997年)
ジェニー・ホルツァー「ブルジョワ×ホルツァー プロジェクション」(2024年)
ルイーズ・ブルジョワ「カップルⅣ」(1997年)

 投げ出された義足がもう無理。頭部がなく表情が見えないので、前に見た白いカップルと違って暴力性だけが際立ってる。

 駄目押しとばかりに背後にインスタレーションが流れているのがダメージを倍プッシュしてきます。


ルイーズ・ブルジョワ「シュレッダー」(1983年)

 マネキンの下半身を巻き込もうとしている「シュレッダー」も暴力による一方的な蹂躙にしか見えません。

 何を壊そうとしてるのかは見る人によって感じ方が変わると思いますが、私は住み込みの家庭教師(家族を脅かす他人)かなぁと感じました。


ルイーズ・ブルジョワ「無題(地獄から帰ってきたところ)」(1996年)

 展覧会のサブタイトルにもなっている文章はブルジョワの夫のハンカチに刺繍されていました。

 ブルジョワはふたつの世界大戦も経験していますが、この「地獄」とはブルジョワの経験によって培われた内的なものの比率が極めて高いと私は考えます。


ルイーズ・ブルジョワ「お針子の妖精」(1963年)
ルイーズ・ブルジョワ「無意識の風景」(1967-1968年)

 保護と束縛の両側面を持つコラム2の彫刻作品群を経て自由と解放の第3章に至るのですが、第2章で受けたダメージが大きすぎました。

ルイーズ・ブルジョワ「家族」(2007年)

 新しい命をはぐくみ家族を形成する絵画を見ても、それができなかった私自身のコンプレックスが大いに刺激される結果に。

 実は展示を一通り見終わったあと、インスタレーションの作品パネルにあったQRコードから情報取得すべく、再び入り口から展示室に入ったのですが(森美術館は53Fに留まっている限りは展示室に戻れる)、再度観る第1章の展示もまた私の精神力をゴリゴリ削ってきました。


ルイーズ・ブルジョワ「蜘蛛」(1997年)
ルイーズ・ブルジョワ「トピアリーⅣ」(1999年)

 どうも私はブルジョワの作品を通して

  • 両親が持っているかもしれない秘密への不安。

  • 抑うつ状態がいちばん重かった時期、母が私の状態を疎むようなことを父に語っていたのを盗み聞きして「見捨てられた」と強く感じて家を飛び出し、大泣きしながらそこらへんを歩き回った経験。

  • 家族以外の他人と対等な関係を構築できないままの自分に対し、まっとうな家庭を持った妹や従妹たちに対するコンプレックス。

といった己の負の部分を強制的に引きずり出され、代わりに生命エネルギーをごっそり持っていかれたようです。


 森美術館を出るときも既にクタクタだったのですが、その夜は夢見が悪かったうえに朝起きても疲労が全く抜けていないというありさま。

 ルイーズ・ブルジョワの作品に相対するには観賞者側にも相応の気力が必要だったみたいです。



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