映画ひとりごと 降霊(KOUREI)
映画ではなくTVドラマだったみたいですが、
ずっと観てみたかった降霊(KOUREI)を
観ました。
霊能力をもつゆえに
生きづらさを抱える女性(風吹ジュン)と、
その能力を理解し見守る夫(役所広司)。
そのつつましくも幸せな生活が、
思いがけず巻き込まれた
事件をきっかけに、狂い、
崩壊してゆく…そんなお話。
全体の感想としては、
事件にからんだ展開に
いろいろとかなり無茶な点があり、
うっかりしすぎだろ役所広司…とか、
夫婦二人のある行動へと至る心理が、
気持ちはわからんでもないけど
いやいやこの場合はダメやろ…
止めろや役所広司…
などの点が気になってしまい、
(だいたい役所広司(笑))
ン…ウーン……(・ω・;)みたいな感じで、
正直モヤモヤの残るものでした。
しかし、それを補って余りある
“みどころ”が、
この“ 降霊 ”にはあるのです。
それはズバリ、
“視える人に(霊が視える時)
どう視えるか”の表現。
いわゆる“ リアル ”な視え方に。
この“ 降霊 ”は
この部分にすごくこだわったらしく、
聞いたところによると、
視える人にインタビューしまくって
作られているのだとのこと。
それだけにこの“ 降霊 ”は、
視える人や霊能者たちから
「視え方がいちばんリアル」
と口を揃えて言われたという
作品なのだそうです。
確かに、
どう見てもそこにかなりの情熱と
こだわりとチャレンジが
込められていました(笑)
そんな“ 出る ”シーン、
どんなふうに視えたかと言いますと…
一般的な心霊ホラーものと比べても、
特別なことや真新しいことを
しているわけではありません。
ぶっちゃけ地味です。
ときには、
紙のように薄っぺらな感じ
(等身大パネルが置いてあるような)
だったり
輪郭ははっきりしているのに、
顔だけ流れたように不鮮明だったり
ただ影のように真っ暗だったり
そんなものが、
ただ片隅に立っている。
一般的なホラー映画だとたいていは、
生きてる人間と同等の
実在感と影響力を持ったものが、
憎しみなどの感情を全身から放ちながら
理由や目的を持って存在し、
迫ってくるものです。
しかし
“ 降霊 ”に出てくるものは違うのです。
誰かに憑いていても
とくに影響力はないようだったり、
どんな感情を持って、どんな理由で
そこに出てきているのかもわからない。
ただただ景色の隅に“ いる ”だけ。
ちょっと視線をよそに移した
ほんの一瞬の間に、
さっきまでいなかった場所に“ いる ”。
そういうものが
仕事中であろうがなんだろうが
こちらの都合にはお構いなしに出る。
そして、視えてしまう。
特殊な状況や演出の派手さは、
やはりどこか遠い世界の話ですが、
普通すぎる生活の延長上に、
あまりにも普通に“ いる ”こと。
それはもしかしたら
すれ違った人や身近な人の目からの
日常かもしれず、
そしてそれがまたいつ自分のものと
なってしまうかもわからない怖さ。
視えてしまったことをあちらに気づかれると
こちらへきてしまう。
でも何もできない。
だからといって
気づかないふりもできない。
怖い。
視えているものが怖い。
何を訴えているのか、いないのかも、
わからないことが怖い。
視たくない。
でも視えなくなれない。
こんなものが
どうして自分にばかり
視えるのだろう。
これが視える人の日常なら、
これはきついな…と思いました。
風吹ジュン演じる “ 視える人 ”は、
霊能力はかなりなもののようであり、
時おり伝手があって訪ねてきた人などに、
おそらく無償でイタコのような“ 降霊 ”を
してあげているようであり、
できるだけ存在感を消そうとするような
佇まいやふるまいで、
隣家もない田んぼの真ん中の家に
近所づきあいを避けるように暮らしている。
ファミレスのバイトを始めるにあたって、
“そういうことしたほうがいい”
“そろそろ生活変えなきゃ”
などと言う。
そんなところに、
いわゆる一般的にいうところの
“ 普通の生活 ”
が、彼女にとっては困難であることが
暗に語られています。
あの“ 目線 ”を思い浮かべて、
それを普段の自分の生活に当てはめてみると
無理もないことだと思います。
実際にやはり視えることが原因で、
ファミレスのバイトを続けることができず
すぐに辞めてしまう風吹ジュン。
けれども、
その“視えている世界”も、
それがどれほどの負担になるのかも
周囲に共有してもらえないから、
周りからは、
はっきりした理由もなく身勝手に辞めた
変な人のように見られてしまう。
視えるものに怯えている姿でさえ、
他者の目からは挙動不審に映ってしまう。
おそらくそういうことが、
これまでにも幾度もあったのでしょう。
能力を持っていることにより、
うれしいことよりも
嫌なこと、困難なことのほうが
ずっと多かったのかもしれません。
だからこそ、
間違っているとわかっていても
あの行動をとってしまったのでしょう。
たった一度でも、
能力を持っていることを
“ 良いこと ”にしたかったから。
風吹ジュンは気づいていなかったけれど、
能力の良い面は本当はちゃんとあったんです。
“ 降霊 ”を頼みにしてきた人たちは、
もちろん能力を信じていたから
来ていただろうけど、
大部分は
風吹ジュンが話を聞いて、
共感し、受け入れてくれることに
慰められ、救われていたのだと思います。
人ひとりの心を救うこと、
それは本当にすごいことです。
それが目立つ立場・存在の人か
そうでないかには関係なく。
それができることは
備わった能力とは無関係であり、
なおかつ能力ごと、
風吹ジュンの持っている
素晴らしい資質だったのです。
いつだって
“ 嫌なこと ”は、
よく目立つから目がいきがちで、
“ 良いこと ”は、
たいていはささやかな形をとるものだから、
それにかきけされてしまいがちで。
そうはわかっていても、
何か大きな良いことないかなーと
つい思ってしまう気持ちもわかります。
また終わり方がなんとも
いろいろな意味であんまりいい展開へ
膨らまなさそうだったのも相まって、
考えさせられてしまいます。
いちばん気になっているのが、
今後風吹ジュンが能力と
つきあっていくことにいっそうの困難が
増したであろうこと。
ときに持てあまし、
生きづらさの元凶ではあったものの、
彼女自身はそれでも誇りにも思い、
誠実に向き合い続けてきたものを、
結果として、自分自身の手で
インチキにしてしまった。
真面目な人だったので、
きっとそのことにすごく苦しんで
いくだろうな…と思われて、
それが気がかりです。
もうその先を知ることはできませんが、
なんとか乗りこえて良い方向へ、
幸せに生きてほしいなと思います。
そんなかんじでした。
しかし、
“ 顔だけがはっきり見えない ”って
怖いですねやっぱり。
似た怖さのある“ 女優霊 ”という映画でも、
背後にいる霊がぼやけていて、
でもなんかすごい爆笑してるっていうこと
だけがわかるあの感じがとても怖かった。
“ わからない ”、“ 理解できない ”
部分に、怖さが宿るのかもしれません。
いちばん怖かったのは、
大杉漣に憑いてたやつでしたねやっぱ…
思い出すのも怖い💦💦
あの女の子は、
正直生きてるときから薄気味悪かったので、
霊になってもそんなに印象が変わらなかった…
ずっと怖かったっす(笑)
自分の持っていない、持ちえない
視点から世界を見て、想像し、考えてみる。
今回のようなケースに限らず、
とても大切なことだなと思います。
おもしろかった。
とても興味深い作品でした。