「虎に翼」に思う - 挑戦ゆえの失敗を非難してていいのか?
NHK朝ドラ「虎に翼」は始まった時から興味深く見ています。今の時代にも通じる問題意識に共感したり打開策のヒントを得たり、逆に我々が当たり前だとおもっていることがそうでないことに改めて気づかされたり、単純におもしろくて笑っちゃったり。
そんな中、先週はちょっと違った感情というか違和感を持ちました。これも制作陣の狙いだったのか?(以下「ネタバレと言えばネタバレかな?」もあり)
主人公の寅子が恩師である穂高先生に怒りをぶつけるシーン。同じ方向に向かって進みたいと思い続けているので、寅子が怒っているのは方向性の話ではありません。穂高先生の、新しい方向に進みたいと思ってはいても染みついた古い方向になってしまう場合があること、新しい方向に進みきれず屈してしまう場合があること、そして、これらが寅子らにとって致命的な結果になりうること、だと思います。
僕はここに「挑戦ゆえの失敗を非難してていいのか?」という違和感を持ちました。
致命的な結果を突きつけられる寅子たちが怒るのは当事者としてはある意味、無理もないことだとも思います。でも、一方でそれは、厳しい状況で勇気を持って立ち上がった人たちにとって、力及ばず失敗した時に味方にも非難されまくるという非常に厳しい事態を意味します。その非難は「やりだした以上やりとげなければいけない」とか、「中途半端な理解ではダメだ」ということを意味します。
このことはしばしば、優れた人たちを失うことにつながります。寅子自身、「失敗」して弁護士をやめた時に、よねに「二度とこの世界に戻ってくるな!」と言われ「そのつもりよ」と答えました。幸い彼女は他の形で戻って来ましたが、戻ってこない人も多いと思います。またそういう失敗を想定してそもそも挑戦しない人も増えるでしょう。
そういうことを考えると、挑戦ゆえの失敗を非難すべきではない、と僕は思います。特に同志は。ものすごいロスにその瞬間は非難したとしても、ずっと非難し続けるべきではないと思います。
自分の場合も、挑戦が起きる場にいることが多かったので、失敗したり、人の失敗に巻き込まれたりが何度もありました。経験を積むにつれて、想定通りに行かなかったとしても「完全失敗にはしない」方法を身につけるようになってきましたが、それでも挑戦に失敗はつきものです。
完璧な人しか進歩をリードしてはいけないと思ってしまったら、進歩が起きる可能性は非常に低くなってしまいます。いろいろと不完全なところはあっても挑戦する人たちの失敗を、非難するよりもむしろ、再起を支援するような空気を作って行くべき、また自分はそうして行きたいと、僕は思います。
(文責:早稲田大学 グローバルエデュケーションセンター(GEC) リーダーシップ開発プログラム 副統括責任者 高橋俊之)
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