赤ちゃん扱いされるたび、僕はうんざりするのです / 東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由』
前々回、ある人からの冷たい態度で傷つき、それが怒りに変わり、最終的にはどうでもよくなったという話を書いた。
そして前回、鬼滅の刃の煉獄さんのセリフを通して色々考えながら気づいたのは、相手の見下した態度が私への侮辱に感じたから傷つき、それが怒りになったんだということだった。
その後、またぐるぐると考えていた。
浮かんだのは、侮辱の反対の「尊厳」「敬意」という言葉。誰だって、他人からは敬意を持って接してもらいたいと当然思うものだ。
並行して、昔読んだ本の中で、何が印象に残ったのかについてあれこれ考えていたら、東田直樹さんの本が浮かんだ。私が人生で一番衝撃を受けた本かもしれない。
有名な方なので詳細は省くが、彼は会話のできない重度の自閉症でありながら、お母さまとの努力の末、パソコンや文字盤ポインティングでの意思疎通ができるようになった人だ。
身近に自閉症の人はいないけれど、昔たまたまテレビで見て、とても印象に残っていた。
彼が13歳のときに書いたという『自閉症の僕が跳びはねる理由』(2007)は、世界中で翻訳されベストセラーにもなった。何年前だったか、本屋で文庫版を見つけたので買って読んだことがある。
実を言うと何度も読み返しているわけではないが、ずっと私の本棚にある。小説でもビジネス本でも「これはもう読まないからいいかな」と思った本をメルカリに出してしまったことはあるけれど、この本だけはなぜか手放してはいけない気がした。
自閉症の人への質問とその答えが一問一答形式で並べられ、最後には彼が書いた短編小説も載っている。
これまでたくさん小説やエッセイを出版されているので、この機会に他の本もぜひ読んでみようと思う。早速、最新の『自閉症が30歳の僕に教えてくれたこと』を買った。(同じアラサーなので気になる)
なぜ大きな声を出すのか、どうして質問された言葉を繰り返すのか、表情が乏しいのはなぜか、体に触れられるのは嫌なのか、跳びはねるのはなぜなのか、どうしてこだわるのか、ミニカーやブロックを一列に並べるのはなぜなのか、どうしてパニックになるのか、etc…
とにかく、私たちが彼を見たときに目や耳で得られる情報から想像することとは全く違う次元のことが、彼の頭のなかで起きていることが分かる。気持ちをそのまま、態度や言葉に一致させて上手に表現することが、どうしても難しいらしい。
外国語を日本語に翻訳して異文化やその感覚を知る何百倍も、興味深くておもしろい内容だった。
東田さんは文字という伝達手段を手に入れたけれど、何も伝える手段がない人は、きっと毎日もどかしくて悔しくてしょうがないだろう、そりゃあ叫びたくもなるよね、と思った。
私が最も印象に残ったのは、「小さい子に言うような言葉使いのほうが分かりやすいですか?」という質問に対する、当時13歳の東田さんの答えだ。
東田さんが心の中で感じたこと、考えていたことは、自閉症の人ならではの特別なものではなく、誰もが普通に感じることと同じだった。
「赤ちゃん扱いされるたび、うんざりする」
「年齢相応の態度で接してほしい」
「本当の優しさとは相手の自尊心を傷つけないこと」
誰だって、対等に敬意を持って接してもらいたい。たとえ外からは全くそうは見えなくてもどんな人だって同じだ。
人間の表情や態度や言葉や、とにかく目に見えるもの聞こえるものなんて、全然あてにならないなと思った。
無表情だからといって、何も考えていないわけじゃない。どう見ても怒っている顔をしていても、ほんとうは悲しいのかもしれない。笑っているからといって本当に心から楽しんでいるとは限らない。
私に冷たかったあの人も、実は「嫌い」以外のなにか複雑な理由があったのかもしれない。(誰にでも同じではなく人によって態度を変えていたのでやはり敵意はあったのだろうけど)
目に見えるものはもちろん大事な情報だけど、それ「だけ」で判断せず、「本当はそうじゃないかもしれない」と疑ったり想像することが大事なんだと思う。
どの本を読んでも、たいてい「想像力」がキーワードで浮かんでくる。それが人間だけが持つ特別な能力で、人として生きる上で大事だから、どの人もわざわざ労力をかけて本にしてまで、みんなに伝えようとしているんだと思う。
私が想像力がある人間だと言えるのかはよく分からない。大雑把だし、思い込みで失敗することも多いので、想像力はあまりない方だと思う。
だからこそ、目に見えない部分まで想像する意識は忘れずに持ち続けたい。敬意と想像力を持って、常に人と接することができる人になりたい。
そのためには、色んな本を読むことと、こうして自分の考えを言語化することが、いちばんの近道だと信じて、作品を楽しみながら修行を続けようと思う。
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