1.8プロレスのチカラ〜ノアと新日本の間にあった差とは? ローマは一日にしてならず〜されど万里の道も一歩から
トップ画像は@shun064さんの作品です。
1月8日に開催された新日本プロレスとプロレスリングノアの対抗戦。新日本ノアともに自社の興行チケット販売に苦戦していましたが、横浜アリーナのチケットSOLD OUT。両団体ファンだけでなくプロレスファン全体の興味を引いたのがこの大会でした。試合結果はこちらの通りです。
試合レポは多くの方が書いているので、私はこの大会で見えた新日本とノアの差について少し考えてみました。
結論から言えば新日本とノアの差は団体としての体力。その一言に尽きます。わりと身も蓋もない話ですが、細かい部分を考えるとこの言葉に辿り着くことになります。
例えばメインの試合。オカダ・カズチカ&棚橋弘至VS清宮海斗&武藤敬司。この試合で清宮はオカダと多くマッチアップしました。清宮は得意なグラウンドテクニックや躍動感のある打撃などで己の良さを見せました。しかし勝敗以上に「オカダをあわやと思わせる場面」は作れませんでした。もちろんタッグパートナーが大ベテランの武藤ということもあり、清宮が長い時間リングに立つ状況はありました。しかしオカダという大型選手と対峙するにあたって説得力のある崩しをあまり見せることはできませんでした。体格差を覆す何かを見せることは残念ながらできなかったと私は思います。
このあたりはひとえに清宮の大型選手選手との対戦経験不足が影響したと思います。清宮の年齢やキャリアを考えれば、オカダとそれなりに良い勝負をした=よくやったとみなすことはできます。しかし清宮はノアのフラッグシップタイトルであるGHCヘビー級のベルトを腰に巻いた経験があります。それも約1年防衛戦を続けており、彼を単なるヘビー級の若手とみなすことはできません。看板を背負った選手が対抗戦団体の王者に完敗した。そうした視点を持つと「清宮は頑張ったね」と一言で片付けるわけにもいかない事情もあります。
しかしそうした部分(経験不足)は清宮にだけ責任があるものなのか?否。そうではありません。浅いキャリアであっても19年のノアは清宮の可能性に賭ける以外の選択肢はありませんでした。清宮を最前線に置くことでプロレス界の注目を集め団体をPRする。他の手段であれば、あの時点でノアの歴史が途絶えていた可能性もあります。ノアに団体として余裕がなく、若手有望株に団体の不沈を託さねばならなかった。また王座陥落した20年1月以降も武藤敬司との絡みやCFFでのDDT勢との対戦といった、外からの刺激はあれど。団体のメインストーリーから外して武者修行をするというような流れにはなりませんでした。ノアとして清宮を外に出すということは興行的に難しかったのだと思います。つまり本来王者になる前に得るべき経験を積ませられなかった。それは団体としての余裕の無さが原因ではないか?私はこう考えました。
人材豊富な新日本であればエース候補を海外遠征に出す。もしくは国内外から様々な選手をリングに上げて経験値を積ませる。そうしたフローをとることができました。実際清宮と同年代の新日本の選手は、まだ下積み期間を過ごしています。もちろんコロナ禍で外国人選手の招聘は難しいといった事情はあります。しかしそうした細かい部分の積み重ねの差が1.8のメイン、そしてノアと新日本の団体間の差として可視化されたと思います。まさにローマは一日にしてならずです。
こうした団体間の差をすぐに埋めるのは中々難しいです。親会社の規模はCA>ブシロードグループですが、プロレス事業に関する社内の意識はブシロードグループに軍配が上がります。たとえ資本差があっても投資額の差はそれほどないでしょう。
であればノアは永久に新日本に追いつくことはできないのか?そうではありません。例で出した清宮の大型選手との経験値不足だってやりようはあります。今のノアにはあの藤田和之も定期参戦していますし、武藤もいます。またWWEからリリースされた鈴木秀樹を狙うという選択肢だってあります。こうした選手との対戦を増やせばまだまだ清宮は伸びます。特に打倒藤田和之は一つのテーマになりうる可能性も感じさせます。
また入場での華やかさについて新日本とノアでは新日本に軍配があがりました。しかし一方で稲村愛輝やYO-HEYといった選手のキャラクター性は新日本ファンにも刺さりました。団体としての体力に差があっても、それで全てが決まるわけではない。彼らはそれを証明しました。
ノアが本気で打倒新日本を目指すのであれば。新日本が築いたローマ帝国を一夜で陥落させることは不可能です。しかし大国新日本も全ては細部の積み重ねです。ノアとしては万里の道も一歩からの精神で一歩一歩進むことが大事ではないか?1.8を見て私はそう感じました。
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