「自律」2009年6月13日からの三沢光晴を読んで
ノアの有観客興行再開前なので、何について書こうかと迷っていた今日この頃。しかしこの記事を読み、自宅の本棚のある本を読み返すこととなり、今回は三沢光晴について書こうと思いました。
そうした気持ちを触発させてくれたのがこちらの記事です。
こちら記事は元週刊プロレス編集長の佐久間一彦さんのnoteです。佐久間さんの半生を書いた一連の記事ですが、そのラストを飾ったのが、「2009年6月13日からの三沢光晴」制作に関わる記事でした。この本は長谷川晶一さんの書いた本で、佐久間さんは編集者として関わっています。2009年6月13日、リングで急逝した故三沢光晴さんが過ごした最後の一日を、関係者の声を元に自時系列を追ったのが前半。後半は6月13日以後の関係者たち、それぞれの三沢に対する想いが描かれています。
もう一人の当事者でもある齋藤彰俊を始め、レスラーでは丸藤や潮崎など。レスラー以外ではリングや病院で救命措置にあった医師。そして三沢が慕っていた友人知人など、様々な人の「あの日以前と以後の動き」が綿密な取材を通して記されていました。
その中には佐久間さんも登場していました。特に三沢の葬儀に関する考えは「マスコミとは?」「故人に対する弔いとは?」という、とても深い内容が描かれていました。Twitterでもバズっていましたね。
齋藤彰俊のインタビューなど、かなり重い話も記載されていますし、明るい本であるとは言えません。しかし、よくある「昔のプロレスの暴露話」や「あのとき実は〜だった」という類の本とは異なり、読了後に清涼感を与えてくれました。
なぜこれだけ重いテーマでありながら、最後に清涼感を与えてくれたのか?それは万人がおぼろげに感じていた「三沢イズムの本質」を伝えてくれたからだと、私は考えました。その「三沢イズムの本質」とは本の帯にもあるように(すみません帯擦り切れました)、「答えは自分で見つけろ」だと思います。
本に登場する三沢の関係者の多くは、三沢に心酔している人たちでした。その殆どが三沢が亡くなった後、なにか自分が悩んだとき「三沢だったらどう考えるか?」と自問自答しつつも、自分なり答えを出していました。一方ある人は「三沢が生きていたら?」とは考えないし、「三沢の動きをそのまま真似るようなことはしない」言いました(これが誰なのかは是非実際に本を読んで確かめてください)。
どちらも相反しているようではありますが、最終的に「誰かに頼るのではなく自分では答えを出す」ということは共通していると思います。三沢と言えば一般的に「言い訳をしない」「男気がある」「仁義を通す」といった部分がクローズアップされていました。もちろんそれぞれ正しいのだと思います。しかし根本的な部分は「答えは自分で出す」そして「自分に恥じない生き方をする」なのではないでしょうか?もっと端的に言えば「自立」や「自律」ですかね。もちろんノアのスローガンである「自由と信念」でも良いかもしれません。
新型コロナウイルスによる社会不安は、多くの人の「他者に対する攻撃性」を顕にしました。感染者への心無い言葉や、自粛警察という言葉がそうでしょう。行動自粛や周囲の感染症対策に苛立ち、他人を罰することばかりに目を向ける人が目立っているように感じます。
しかし「ルールを守る」という行為は、他者のためだけにあるのではありません。経緯はどうであれ「自分が守る」と決めたのであれば、それを裏切る行為は「自分に嘘を付く行為」になります。他者の目は関係なく「自分に恥じないため」にルールを守るという考え方もできます。
もちろんこれは中々難しいことです。私も胸を張って出来ているとは言えません。三沢光晴という選手に我々が憧れたのは、彼がそうした難しいことをサラッと出来ていたからだと思います。三沢程の「自律した生き方」は出来なくても、せめて自分を甘やかそうとしたときに、少し立ち止まって考え直そうとする、くらいはできるかもしれません。
こんな時代だかこそ、三沢ファン、そしてノアのファンは、「自律」という言葉について自分に置き換えて考えても良いかもしれません。