小川良成の上手さとは何か〜プロレスリングノア
今週の週刊プロレスに珍しく小川良成のインタビューが掲載されていました。鈴木鼓太郎からのGHCjr王座挑戦についてがメインテーマでしたが、いくつかプロレスの技術論的な意見も掲載されていました。有料雑誌なので詳細は省きますが、この記事を読んで「小川良成の上手さとは一体なにか」ということについて少し考えたくなりました。
小川良成の経歴については今更触れるまでもありません。様々な団体の選手からも「プロレスがうまい」「技術がある」と評価されていますしね。しかし反面、その上手さとは一体何かが中々言語化されていません。もちろんプロが言語化できないのだから、私のような素人が言語化しても的はずれな部分も多々あると思います。なので今回についてはあくまでも「私が考える小川良成の上手さ」とさせていただきます。
それでは「私の考える小川良成の上手さ」とは何か。それは「理屈に沿ったレスリング」だと考えています。小川良成について語ると多くの人が「一点集中の多彩さ」を挙げます。曰く腕のみ足のみの攻撃で観客を飽きさせず、試合を組み立てられる。などですね。もちろんこれは事実ですし、小川良成の良さを表現していると思います。しかしここはあくまでも小川良成の一部だと私は思います。
そもそもなぜ「一点集中の攻め」がプロレスで必要なのでしょうか?プロレスにおいて一点集中攻撃がメリットとなるのは「相手の長所を潰す」(ラリアットが武器の相手の腕を攻める)や「相手の弱点をつく」(膝の弱い選手によりダメージを与える膝攻め)などが理由として挙げられます。当然どんなレスラーでも長所と短所を持ってます。つまりどこかの部分を集中的に攻めることは、試合に対するリアリティを表現することにも繋がります。
相手のラリアットを封じるために一試合通して腕を攻める。また最近ではあまり見かけませんが、古くはタイトルマッチを控えている選手同士が、シリーズを通して同じ箇所を攻めるということもありました。そうすることでシリーズを通したテーマが生まれ、最終戦に控えるタイトルマッチへストーリーが繋がります。
〜選手は〇〇という特徴がある。故に勝つためには△△という部分を攻める。という理屈ですね。一点集中攻撃はあくまでも手段であり、本質的には「理屈に沿った試合をする」というところに、小川良成の上手さがあると、私が考えるのはこうした部分からです。
もちろん観客が沸くから大技を多用するという試合もありますし、そうした試合に注目が集まるケースも多いです。プロレスなんてエンタメなんだから、そんな理屈っぽい部分は要らないという意見もあるでしょう。
しかしプロレスは本質的には戦いです。そこに勝つための理屈が無ければ、単なる技の発表会になってしまいます。技の発表会と戦いの一線を引くには、やはりそこに勝つための理屈が大事だと私は思います。
クラシカルなテクニシャンの本質は理屈に沿った試合構築力にあると捉えると、小川良成の良さを再確認できるのではないでしょうか?
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