気高き犬、杉浦貴〜プロレスリングノア〜
「犬は猫と異なり人間の命令に忠実だ」という印象があります。「忠犬」という言葉がまさにそうです。しかし犬好きの人には大変申し訳ございませんが、犬という言葉は時に侮蔑のニュアンスが込められることがあります。例えばそう「会社の犬」等ですね。「会社の犬」という言葉から連想されるのは「会社の言うことを聞いてるだけ」「自分で考えていない」。そうした言葉です。しかし本当に「会社の犬」は侮辱される存在なのでしょうか?
プロレスリングノアで杉浦貴は、昨年己のことを「会社の犬」だと言い切りました。確か反体制的な立ち位置だった拳王が「あいつらは会社の言うことを犬みたいに聞いてるだけだ」と言った流れからの言葉だったと思います。拳王の言葉に対して「俺は会社の犬だ」と胸を張って答える杉浦。そこには単に「会社の言うことを聞いてるだけ」という意味ではない「会社に忠義を尽くす」というニュアンスが込められていたと思います。
どんなことがあっても会社に忠義を尽くす。これはとても難しいことです。誰だって会社が傾けば逃げ出したくなります。自分の腕に自信があれば尚更です。良い条件の会社に移ることもできます。しかし彼はそれをしませんでした。
杉浦貴はノア旗揚げ元年にプロレスデビューしました。つまり杉浦貴のプロレス人生=ノアといっても過言ではありません。ご存知の方も多いですが、ノアの歴史の中には厳しい時代が長く存在しました。特に杉浦が全盛期を迎えた時代は「超えるべき壁(三沢や小橋)」が存在しない時代でした。「三沢さんも小橋さんもいない武道館は物足りないですか?自分はそうしたものとも戦っています」。これは本来であれば言ってはいけなかったかもしれません。しかしこれは杉浦の魂の言葉だったと思います。
目の前に壁があれば超えられる可能性もあります。しかし人々の幻想の中にある壁を超えることはとても難しいことです。GHCヘビーの防衛を重ね、「ノアの強さの象徴」としての位置を杉浦は得ました。しかし「ノアの象徴」という位置にはなれなかったと思います。
もしかしたらノアという枠組みがあるせいで、杉浦に正当な評価が与えられなかったのかもしれません。それこそフリーなり別のリングの方が、彼の真の価値が評価されたかもしれません。しかし彼はノアを犬として守り続けました。時に鈴木軍に加入してヒールとして戦うことはありましたが、ノアという枠組みから外れることはありませんでした。
以前週プロのインタビューでノアで戦い続けた理由を「デビューした団体で愛着があるから」と語っていました。もちろんそれは事実でしょう。しかしそれだけでは、2012年にノアから秋山潮崎らが離脱したときに「あいつらをただではおかない」と激怒することはなかったでしょう。実際に離脱直前の潮崎と対戦した杉浦は、試合前に丸藤に「試合を壊したらすみません」という言葉を残しています。これだけ激怒するということは、愛着という言葉を超える何かがあったのかもしれません。それはもしかしたら「忠義」という言葉に言い換えられるかもしれません。
周りが何を言おうとも会社のために忠義を尽くす。令和の時代では、ある意味化石のような言葉です。しかし杉浦が言った「俺は会社の犬だ」は「会社の言いなりで動く犬」という意味ではありません。「会社に忠義を尽くす気高き犬」という意味こそが、杉浦貴に相応しい言葉ではないでしょうか?
ファンとして杉浦貴が20年間ノアとともに歩んでくれたことを感謝したいと思います。20年間ありがとうございました!これからもよろしくお願いします!