プロレスの不透明決着〜興行におけるインパクト〜
「プロレスに不透明決着を許すな!」「いやエンタメなんだから不透明決着含めてのプロレスだ!」
Evilの戴冠から、今に至るまでこの手の話題で盛り上がる私のプロレスTLでした。今回、先に結論から言わせて頂くと、「そもそもプロレスは過去から現代に至るまで不透明決着を含んでいるものだ」という形になります。プロレス興行においては、インパクトを取ることが最も大事です。そしてそのインパクトを何でとるのか?勝負論、試合内容、そして不透明決着もここに含まれます。
IWGPに限った話ではなく、GHCも三冠も(正確には統一前かな?)王座戦でセコンド介入や反則絡みでタイトルが動くことはありました。昭和の時代まで遡れば「反則やセコンド介入」という、強さとは違う側面で興行全体を盛り上げようとしていました。古くはG馬場のPWF連続防衛記録をキラートーアカマタが反則絡みで止めたのは有名な話ですね。
このように強さ以外の要素を絡めることで、団体の試合の流れの幅を増やすことができると言えます。これがいわゆる「インパクトをとる」by長州力ですね。
以前「97年以降の四天王プロレスの過激化は、勝敗を巡る部分への価値が無くなったため」とツイートしたことがあります。これは96年末時点で四天王全員が三冠獲得経験者になり、「王座という勝敗を巡る」という要素での集客が難しくなったことが関係したのでは?と考察したためです。
三沢小橋戦がブランド化したのが97年〜98年。その2年間で試合内容を極限まで高める。しかし集客が伸びない。また限界が見えた(選手の負担増加)。そこから98年東京ドーム後の三沢革命(三沢マッチメーカー就任)でカードの組み換えによるテコ入れ。私はここまでが一本の線になる動きである、と考えました。つまりは「試合内容以外の要素を考えねば、いつか団体は停滞する」というこです。
反則やセコンド介入が気持ちの良いものかどうか。それは人によるとしか言えません。ただ新日本としては「王座を巡る」という点だけでは興行として注目度合いが弱くなった(観客に慣れが生じた)という考えかもしれませんね。
ある意味2020年の新日本プロレスの動きは「四天王プロレスを軟着陸させて、別路線に舵を回した90年代後半全日本のif」を見せているのかもしれませんね。もしくは「鈴木軍襲来時のノアでそれが正しく終わったらどうだったのか?」というif。いずれにせよ新日本は中々面白いことになってると思いました。
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