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ウルトラデラックススーパーストーリー

満たされている、とか、満足、とか

そういったことを最近すごく感じるのですがこれってどういうことなのかなあって考えて自分なりに納得できたので言葉にしてみます

わたしは多分とても恵まれていて、ずっと前から周りには優しい人がいっぱいいてくれて、金銭的にも年齢的にも実力的にもやりたいことをやらせてもらえる環境にいて

それでもずっと満たされている気はしなくて、だからわたしは普通じゃ満足できない人間なんだろうなと勝手に思っていて

でも今、特に世間一般とかけ離れた訳でもなく、世界にとって唯一無二の存在になれたとかでもないのにすごく幸せで

それってきっと、なにかをなにかで代用することをしていないからだと思うんですよね

なんでも、です

たとえばパスケースがないからカードケースにPASMOを収納するとして、カードケースが膨れてしまっていてすごくチャックが開けづらかったりというすこしの弊害があるとするじゃないですか

でもまあチャックの開閉時に微妙にイライラするだけで、わざわざパスケースを買う程ではないかなあとなってしまうと思うんですけど、まあ全然代用はできると思うんですけど、でもやっぱりパスケースがあるに越したことはないじゃないですか

世界に替えが効かない存在っていうのはほぼないと思っていて、ブランドものだってパチモンとまでいかなくてもちょっと似たデザインのものくらい探せばいくらでもあって、人ですらも、全く同じ人はこの世にいないとしても、たとえば話を聞いて適切なアドバイスをくれる人とか、一緒にめちゃめちゃ酒を呑んでくれる人とか、そういうひとつの要素だけで見ればいくらでも探すことができて、用途によって使い分ける、というと大変人聞きが悪いですが、上手い具合に自分の欲しているものを様々な代用品をカスタマイズして埋め合わせるというのは人間20年も生きてればそれくらいのスキルはある訳です

でもやっぱり身の回りが代用品ばかりだとなんとなく満たされていない感じになるというか、必死に埋めてる自分が情けなくなったりもしてしまうと思うんです、そこまでとはいかなくても胸を張って幸せとは言えないかなって、思うんです、少なくとも私は言えなくて

でも最近はなんか、本当に代用しているものが身の回りになくて、受け取るものも、発信するものも、なにもなにかの代わりじゃなくて、それがすごい幸せだなあと思っています

Twitterもさみしいからとかじゃなくて、人と会う代わりとかじゃなくて、これ自体がたのしいなあと思っていますし、推しも、推したくて推しているし、音楽も、音楽がすきだから音楽をしていて、行きたくない飲み会はやんわりと断れて

バカではないので、現状身の回りにあるものがかけがえのないものだとは思っていません

多分世間的に見たらいたって平凡だし、唯一無二なんて特別なものをひとつでも与えてもらえるほど神様から気に入られてるなんて思い上がってもいません

今手元にあるなにかが欠けても、なにかで埋めて生きる強さは余裕で健在です

でも今は欲しいものがなくて、すっごく楽しくて、幸せなので、できればなくなって欲しくないなあと思っています

多分世間様が普通に感覚でわかっていることを、おそらく人よりちょっと遅く理解して、その分具体的に理解できたので、この普通の幸せとやらを言語化してみました

以上!(厚切りジェイソンと同じ締め方です)


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