エッセイ「選択的欲求」
2024年4月24日、夜
帰りたい。全身に膜が張ったように不快な日、お昼休みにnoteを書いてみる。おそらく今日唯一の「良かったこと」はオフィスの人口密度が低いことだろう。人間は少ないくらいがちょうど良い。それにしても時間がない。書ききるはずはないのでいけるところまで。
とにもかくにも帰りたい。今日は蒸し暑い。こんな日は上手く呼吸ができない。もしかしたら私は皮膚呼吸動物なのかもしれない。時間がないと言うのに実に馬鹿馬鹿しい。
オフィスの冷蔵庫の上に目をやると、個包装のお菓子が2つこじんまりと置かれている。一時期お土産ラッシュでお菓子が溢れかえっていたのだが、目に見えて減ってくると寂しい。何か置いておこうかと思い付くが、もうすぐ社内の異動で「ご挨拶」があるだろう。連休も始まるし、また少ししてから考えることにする。
考えることがひとつ終わってしまった。意外にもあっさりと。今日はあまり深く考えられない。脳が疲れている。単純に寝不足のせいだろう。寝不足とは、まさしく寝る時間が足りていないことである。特に理由はないが改めて説明してみる。したところで何も変わらない。あぁ、エネルギーを無駄に消費してしまった。
さて、この辺からは帰宅後に書いている。私にしては珍しく今週はすでに2回もお酒を飲んでしまった。と言っても1日に飲むのは缶チューハイ1本。お酒に弱い方だし、お腹がたぽんたぽんになるので1本で十分すぎるくらいだ。「水はそんなに飲めないのにお酒だと何で入るんだろうなあ」と話すオトナを何度も見たことがある。しかし私からするとお酒もそんなに入らんのだ。もちろんコーラや緑茶、牛乳も然り。
家でうだうだやってる間もやっぱり帰りたい気がする。どこに?この問いは物心ついた頃から通算2000回を超えたと思う。考えても仕方ない問いがまとわりつく時、脳のエネルギー切れほどありがたいものはない。もはや考えたいという欲がなくなってくる。寝不足は寝るしかない。ふざけてはいない。寝不足は、寝るしかない!と歌う曲が本当にあるのだ。早く寝たい。帰れないのなら、せめて穏やかに眠っていたい。ただそれだけが今宵の願いである。空から満月が覗いている。私もカーテンを開けて覗き返す。こんばんは。コンバンハ。ゆっくりお休み。