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Sweets Dance

仕事が忙しくて心身ともにヘトヘトな時に甘いものはとてもよく効く。いや、しょっぱいものだっていい。塩分は労働者の味方だ。
業務の隙間に、昼休憩のおやつに、1日の終わりに。ちょいと口に入れるお菓子のなんと美味なことか。

そんなお菓子があると嬉しい。だからお菓子をくれる人はおしなべていい人なのだ。間違いない。

姉からもらったプティゴーフルを食べるとき。
大事な友人から誕生日祝いにといただいた豆菓子を食べるとき。
尊敬する同僚からとあるお礼にともらったリンゴチョコを食べるとき。
親愛なる上司からのおかきを食べるときも。
そして、今は亡き敬愛する同志の香典返しですら。

大好きな人達からのお菓子はどんなものでも格別の味がする。

そんなわけでお菓子好きな人種ではあるのだが、実を言うと自分でお菓子を買うことは殆どない。
貰い物で生計を立てているというわけではないのだが、自分で選ぶという行為が面倒というのも一つある。
買ってまで食べたくはない、というわけでもないのだが、いざ買おうと思うとどれも心に響かず、そっと売り場を離れるということの繰り返し。自らの意志で迷いなく買い求める菓子は東海地方では超有名な(多分)「美浜の里」、そしてどこにでも売ってる100円位で買えるピーナツチョコ程度。
だから「何が欲しい?」「何が好き?」と問われても上手く答えられないわけで。

今から15年くらい前になるだろうか。
小学校低学年の息子が母の日だったか私の誕生日にだったか定かではないが
「かーちゃん、おかし、なにがすき?なんでもかってあげる!」
そう言ってくれた。キラキラした眼で。
しかし私は知っている。親なので知っている。
彼の懐にはそんなに多くの札どころか硬貨もないことを。

「だいじょうぶだから!なんでもいいよ!おかねあるから!!だから10円とかじゃなくて、たかくてもいいから、なんでもいって!」

いやいや、お金ねえだろ(私がお小遣い渡してるんだから)。

でも私は母なので考えあぐねた末にこう答えたのだ。
「そうだなー。おかーさん、カプリコがいいなぁ。ちょっと高いかもしれないけど、大丈夫かな?」
息子の表情が明るくなる。
「えっ!カプリコ?!いいよ!!だいじょうぶ!かえるよ!!かってくるからね!」
その日、張り切って自転車に乗って坂道を降りていく彼を私は感無量で見送った。


100円程度で買えるくせになんとなく高級そうに見えるあのお菓子・カプリコ。奇しくも発売は1970年。私の誕生と同じである。が、さして私にとってカプリコに深い思い出があるわけでもない。ていうか特に思い入れもない。ものすごく好きというわけでは、実は、ない。
もらえるんであれば蒲焼さん太郎やチロルチョコで充分なところであるが「なにか特別なものを買ってあげたい!」という小さき者の気持ちに応えるには彼らが普段食べている駄菓子では親子の仲に軋轢を生じてしまう。
彼らからしたら特別なお菓子。思ってもみなかったようなお菓子。母に贈るのに奮発できるようなお菓子。
そんな中、カプリコは丁度いい位置にいた。それだけのことだ。


数年前の母の日には息子から業者かよと突っ込みたくなる10個入り店頭展示箱入のカプリコが届いた。
今年、53回目の誕生日を迎えた私に娘はミニカプリコの袋といちごカプリコをプレゼントしてくれた。
……つまりどうやら彼らの中では私の好物は未だカプリコなのである。

とはいってもお菓子をもらって嬉しくないわけがない。折角なので職場の昼休憩に食後のデザートとしてミニカプリコを食べる。
エアインのチョコが美味しい。
ウェハースのサクサク感と相まってとても美味しい。


お菓子をくれる人はいい人。

大好きな人からのお菓子は格別の味。

いやいや。
改めて思った。
息子や娘からもらうカプリコはそんなもんじゃないかもよ。

そう、今やカプリコは私にとっては彼らとの思い出の中になくてはならない思い入れたっぷりの大切なお菓子となってしまっていたのだ。

疲れた時に一等よく効く、最高のお菓子に。

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