警戒心の性差~男はみんな不審者!?~
「夜道を歩いていたら前の女性に不審者と思われた」「エレベーターに乗っていたら怪しい人だと思われた」男性にとっては不愉快極まりないシチュエーションって、たくさんあると思う。
いくら犯罪の加害者に男性が多いからと言っても、「疑われる」というのは男女関係なく気分の良いものではない。一方で、「女は男に守られ(甘やかされ?)て幸せだろう」という意見も、全くないわけではない。実際「女性だから許されている」部分も、日常生活であるだろう。
では、女性から見て男性はどう映っているのか?
以下、適切なたとえではないかもしれないけど、あくまで私一個人の意見として聞いてほしい。
男の筋力を「武力」として考えた場合、小学生男子レベルの身体能力しかない(スポーツテストの男女平均を調べてみればわかる)女と比較すると
「男=核保有国」
「女=核非保有国」
ではなかろうか。
核を持っている国は脅威だと思う。それを使う・使わないに関わらず脅威に映る。なぜなら
「いざとなれば核で攻撃できるから」
これは男性にも言えることで、男は「暴力をふるう・振るわないに関わらず『女性より強い』ということ自体が脅威」に映るのだ。
そういう意味では、以下のような状況は、まさに「女なんていざとなれば力ずくで攻撃できる」という表れなんだと思う。
「あ、男性でしたか。失礼しました^^;」現象というのは、「相手が女性だと思っていて横柄な態度をとっていたくせに、男性だと分かった途端丁寧な態度に変わる」ことを言う。
これに関わらず、男に生まれたというだけで女より偉いと思っている人はたくさんいる。
上記のたとえで行くと、「女は男に守られて幸せ」これがどういうことかというと、
日本=女性
アメリカ=男性
「日本はアメリカに守られて幸せ」ということになる。
実際どうだろう?「平和な時なら良いけど…」「約束を守ってくれるなら良いけど…」結局心の底から安心している人はいないだろう。
それは、女性も一緒。
震災時に女性の性被害が多くなるように(最近は男児の被害者も増えているようだが)、結局男に守られている女というのは常に「男に捨てられる」「男の庇護から外れる」というリスクを背負わなければならない。
そう考えると、果たして本当に幸せかなのかは甚だ疑問だ。
逆に言うと、女性が安心して暮らせる社会というのは、即ち平和の証でもある。発展途上国や紛争地域を見ると、女性活躍とは程遠い。
女性が活躍したいかどうかは別として、ある意味「女がのさばっている」社会というのはそれだけ治安が良いということなんだよね。
安っぽいセリフになってしまうけど、女性に限らず、男性も双方幸せに暮らせる社会になって欲しいものだ。