「愛するということ」を読んだよ
エーリッヒ・フロムの「愛するということ」を読んだ。
タイトルが照れ臭くて恥ずかしいんだけど、本の帯に弘中綾香アナのコメントが載っていて、「愛するということを、生まれながらにできる人なんて居ない」という言葉に惹かれた。その帯の弘中アナの隣には谷川俊太郎のコメントという並びも謎で読みたくなった。
本は60年以上前に書かれたものなので、この本の内容が今の時代にすっぽり当てはまるわけではないんだけど、愛って一体何なんだろうと考えていた私には新しい考え方のヒントをくれた。
愛は技術なのだろうか。もし技術だとしたら、知力と努力が必要だ。それとも愛は快楽の一種なのだろうか。つまり、それを経験できるかどうかは運の問題で、運がよければそこに「落ちる」ようなものだろうか。
私は愛が技術だなんてちっとも考えず、愛は好きの延長線上にあるものだと思っていたので、最近別れた彼についても、私が彼に愛されなかった(好きでいてもらえなかった)のは私の魅力が足りなかったのかなとか、彼の好きに当てはまらなかったのかなとか、あの時あーしていればとかぐるぐる考えていたけれど、よくよく考えてみれば、私の方が彼をちゃんと愛せていなかったのだとおもう。
愛の問題を、愛するという問題を、私たちは愛する能力の問題として捉えるのではなく、愛される問題として捉えてしまうので、どうすれば好きになってもらえるとか、どうすれば愛される人間になれるのかを考えて、外見を磨くとか地位や名誉を手に入れるとか、そういったことに囚われてしまうけれど、人って自分の中に愛を持って生きることの方がよっぽど難しい。
「愛する」の対象は何になれど、愛することは生まれた時から備わっている能力ではなくて、精神的な発達の段階によって身につけていく能力だとすると、私はまだまだ未熟だなと感じた。愛されたいと思っているくせに自分の愛を与えようとしないケチなやつだったかも。与えたものがどうなろうと、これからはもっと愛を持って生きていこうとおもう。それがモノでもコトでもだれであろうと。
そして先日一緒に飲んだ友人が酔っ払いながら、「人を好きになるってことは、その人を通してこの世界を好きになるってことだと思うんだよね。仕事だってそうで、この世界のことがもっと好きになりたいから、いいものを作りたいと思うし、残してやるんだと思ってる。」って言ってた言葉を思い出した。その時はふーんぐらいにしか思っていなかったけど、本を読んだ後にその言葉を思い出すと、彼の言葉は私の中の名言録に掲載された。
愛は自然と生まれるものじゃなくて、自分の中から生み出すこと。そう思えた本でした。ちょっと啓発本みたいで警戒しちゃうね。でもそういう本だったよ。
ちゃんちゃん