理由はいらない?
何かを始める時、何かをやめる時、何かが起きた時、理由が欲しくなる。
それが、もし、たまたまであっても。
そもそも理由なんて無くても。
私はこの前、自分の誕生日に理由が欲しくなった。
その日に生まれたんだから、ただそれだけなんだけれど。
私の誕生日は、アメリカの独立記念日と同じ7月4日。
先日、他にもある出来事が、同じ日に起きたことを知った。
私の住んでいるところで、大空襲があった日だった。
ある年の7月4日、1つの国が独立を祝った。
ある年の7月4日、ある場所で1000人もの命が失われた。
ある年の7月4日、私が生まれた。
それらが同じ日だったことに理由はない。
でも理由が欲しくなった。
そのままにしとくのが、なんだか落ち着かなかった。
そのソワソワをどうにかしようと、犠牲者の慰霊碑を訪ねた。
慰霊碑の前で手を合わせた。
大空襲により命を落とした人、戦地で戦った人、戦争で家族を失った人のこと。
もうどうしようも変えられない過去の、見ず知らずの人たちの気持ちが、頭の中に次々と流れ込んでくる。
–––これを感じるために、7月4日に生まれたのかもなあ。
7月4日に生まれた理由があった。
というか、作った。
昔から人は、何か理由の分からない出来事を、妖怪とか、お化けとか、神さまに、かこつけてきた。
理由がないのは怖いから。
理由はいらない?
いらないと言われれば、いらないのかも。
いらないと思っていても、あとから付いてくるのかも。
必死に探すのも悪くないのかも。
生きている理由も、そんなところじゃないのかな。
そう思うと、色んな人の生きている理由を聞いてみたくなってきた。
あなたの生きる理由はなんですか?
それとも理由はいらない?