ちゃんと“ある”
障害者支援施設。
4年間、続けたバイト先。
好きだったから。好きになっていたから。
人からの紹介で始めた。
障害者と聞いて、抵抗はなかったし、時給もいい。入る時間帯も、融通が利く。
「こらから、よろしく」みたいな面接をして、早速、「今月は、いつ入れるのか」というようにトントン、話が進む。
私のバイト生活が始まった。
大学内では、あまり出会うことない人たちと出会った。
着替えが出来ない人。
歯磨きが出来ない人。
うまく食事をとれない人。
歩けない人。
目が見えない人。
言葉を発することが出来ない人。
決められた場所で排泄が出来ない人。
薬がなければ今の生活を続けられない人たちばかりだった。
私が働いているうちに、亡くなってしまった方もいた。
バイトを始めて間もなく、そんな環境で、しんどくなってしまったことがあった。
「何で生きているんだろう」のような行き場の見当たらない問いが、頭の中を渦巻いたり。
そんなままで、4年間もバイトを続けられるほど私は強くない。
何で生きているかは、分からないままだけれど、少し考えが変わったところがある。
“ある”世界が、無いんじゃない。
ない 世界が、そこにはちゃんと“ある”。
私は、初めのうち、自分にあって、そこの人たちの無いところを見てしんどくなっていたと思う。
たくさんのものを失った状態で生きている人たちだと思っていた。
しかし、関わっていく中で、違うと気がついた。
私に有るのに、その人に無いものがあれば、そこには別のものが詰まっている。
決して、何かが欠けた世界で生きているのではない。
言葉が分からない人には、言葉が分からない世界が “ある”。
目が見えない人には、目には見えない世界が“ある”。
私には別のもので満たされていて、入れることの出来ないものが、そこには間違いなく “ある”。
と気がついた。
私には無いもので、満たされている人と関わると、その世界を覗き見ることができるようで楽しい。
私は、バイトが好きになっていた。
たくさんの世界にお邪魔させていただけたと思っている。
「私には有るのに、あなたには無いから、人生損している」
だから
「あなたは、かわいそう」
とは、ならない。
障害者や、高齢者、子ども、犬や猫、異文化をもつ人へ対して、かわいそうとは思わない。
「私には有るものが無いから、そこには何が詰まっているの?」
と覗き込みたくなる。
そこには哀れみとか、優劣は存在しないと思うんだ。
これは、何も先に挙げた人たちだけに言えることじゃなくて、全ての人に当てはまると思う。
私以外に、私と全く同じもので満たされた世界に生きている人なんていないのだから。
難しいことは分からないから。
見えないものは分からないから。
隣の人にちょっと見せてって言うんだ。
すると、無いように見えていたところでも、そこにはちゃんと世界が “ある”から。