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急募?この気持ちに名前を

私の好き、抜粋

痛いこと(注射とか、こけるとか)
きついこと(持久走、筋トレ…)
辛いもの(味覚的にね)
暑い冷たい(サウナ、水風呂、クーラーのない部屋)

※あくまで抜粋。

好きなんだけど、どうしてかと言われると難しい。

あえて言葉にして伝えるなら「生きている心地がする」と言った感じ。
でも、「痛い」と思った時に、「生きてる心地だ!」と思うわけじゃない。
人に伝えたり、自分をある程度納得させるために、言葉が必要だから、仕方なく(仮)でつけた名前。しっくりはきてない。

伝えるという趣旨から外れて、これら好きなことをしているときの気持ちを表現すると

「ふあ〜あ〜ああ!」

の方が近いと思う。

この好き抜粋は、普段、はじめましての人には言わない。
「生きている心地がする」と(仮)をわざわざ言いたくないし、「ふあ〜あ〜ああ!」と言っても、ぽかーんとされるだろうし。

「ふあ〜あ〜ああ!」に名前がつかないのは、それに似た感覚や言葉が少なくて、共有できる人が少ないからかな。
そして、この感覚、誰かと一緒にっていうよりは、1人になって、さらに自分の内側で楽しむ。
密かにやってるから、言葉にしなくても満足できちゃう。

みんな、「ふあ〜あ〜ああ!」を持っていると思う。

こういう名前のつかない感情。

名前があるなら、それを使った方がより伝わるよね。

ただ、こういう名前がつかない感情を「あの感覚」「やばい」「エモい」と呼んで、相手と盛り上がった時の熱量はすごい。
言葉を超える。

わかる〜!!!やばいやばい!!!

アホっぽい会話だが、名前がつけられてこなかった感情を共有していたとすれば、これ以上ないコミュニケーションなのかもしれない。

語彙を増やし、そのニュアンスまで理解して、言葉をより正確に使用・解釈することは、正当なコミュニケーションを実現するツールであるに違いない。

でも、もし、言葉にしても、しっくりこなかった「ふあ〜あ〜ああ!」を共有できたなら、そういう正統派なコミュニケーションでは考えられない高揚感、充足感が駆け抜ける。


やばいで片付けて欲しくない、片付けたくない言葉はたくさんある。
それでも、言葉では到底、片付けられない大事な感覚もある。

どっちも大事にして言葉を発したい。
どちらも忘れずに人の言葉に耳を澄ませたい。

色々言ってきたけど、やっぱり
「ふあ〜あ〜ああ!」
名前、いらないか。


#言葉 #雑記 #エッセイ #好きなもの