セーフ
ネットでお話ができるアプリがあって、私はそこで自分のマイクを切って、数人の会話を一方的に聞いていた。
いごこちが良かったので言葉にしてみたくなった。感想文。
いごこちの良さ。どんなに高いところから飛び込んでも、終着点がおっきな、おっきな、ふっっっかふかの安全マット。あがさ博士がコナンに頼まれて、灰原以外の少年探偵団には内緒で作っておいた秘密道具みたいに性能のめちゃくちゃイケてるやつ。
分かりやすく言うとね、「信じるか信じないかはあなた次第です」な話をするのに、先に相手が「私は、あなたにはなれないけど、もしかしたら似た経験はあるかもしれないから、全く分からないでもないだろうし、もし分からなくてもその事実は信じるからどうぞ話して、興味あるし」って言ってくれているような。
一向に分かりやすくなりませんねえ。
ええ。
まあいいや。
今までの経験上、そういう高いところから飛び込んだ場合、マットから少し外れて硬い床に落ちたり、なんだ、そんなに硬いのかよっていうマットに落ちたり。その後、平気なふりして何事もなかったかのような顔をするか、痛いのをごまかすように大笑いして、おかしな人になるかしてたよなあ。
それを自分は、いじられキャラだと思っていて、これでいいんだと思ってたけど。
すり傷も、同じところに繰り返すと、ジクジク痛むもので。だんだん高いところから飛び込むのをやめるようになったんだけど、他の人とは違う高いところにいるのに変わりなくて、安心して飛び込めるところがあれば、飛び込みたいなあと思うことはあるわけで。
一対一の関係なら、相手と自分の台の高さが違う確率は100パーセントだから比較的、飛び込みやすい。それが複数人になると、1人だけ違う台にいて、気付いたら他のみんな同じ一枚の板の上にいることがあるから驚いた。たぶん、みんな違う台にいたはずなのに、おかしいなあ。
でも先日のあの会話では、みんな違う台にいるのが当たり前で、下には、ふかふかマット。
もはや、飛び込みたいです。飛び込ませてください。
その台がどんな高さでも、どんな形でも、どの位置でも、どんな色でも、曲がっていても、歪んでいても、下を見れば床一面のふかふかマット。受け入れ態勢は万全。
台と台の差が小さいからといって、同じ台だということにされてしまうでもなく、その差が大きいからといって、存在しないことにもされない。
確実に収めてくれる柔らかい到着地点が見えることが、こんなにも安心感を与えてくれるんだなあと思う。
無理に誰かの台に紛れ込まなくても、歪んだ顔が笑顔になるまで硬いマットに顔をうずめなくても、安心できる場所があるのはいいなあ。
ただ、マットの抜群の緩衝力だけでは、成り立たなかったとも思う。
やわらかマットへ飛び込む人のマナーも素敵だった。
素で飛び込むのは危険である。とがっていたり、すごい衝撃を与えたりする可能性がある。
飛び込む側だってマットの性質をわきまえていた。セーフティマットだって、なんでもかんでも受け止められるわけじゃないからねえ。いかにして受け止めてもらうのかに注意を払って、柔軟にパッケージ、緩衝材を取り替えるのが上手な方たちだった。中身をすり替えることなく。
そして、逃げ場が与えられていたこと。いくらマットが柔らかくても、飛び込むのが怖いときもある。事前に、非常口の誘導灯の位置を確認させてもらえるのは安心だ。たぶんだけど、飛び込むのが怖かった経験をしたことがある人たちだから、非常口への案内が自然で、さり気なく、申し訳なさを感じさせる隙がない。
私は、その会話で発言しなかった。誰かが、その誰か自身の台から話し、聞く側がはっきり掴めずとも、うまくマットに収めるように聞いている。そっと非常口も開けてある。そんな安心(セーフ)な状況は、自分が誰かの一番になること、自分の価値を評価されることがなくても楽しかった。
私も思いっきり、だけど優しくセーフティマットに身を沈めたい。
↓セーフな人