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I was born as an artist.

自分に言い訳する人生は、惨めさと交換で楽を手に入れる。

ごきげんよう、もくれんです。

六本木ヒルズの森美術館でアナザーエナジー展が開催中だ。

70代以上の女性芸術家16人にフォーカスした展覧会で日本・海外問わず現代を生きるアーティストたちのインタビュー動画と作品が展示されている。現代アートっていうのは、わかろうとするのがナンセンスというか解釈の正解がないものなので作品は解説を読みながら「そうなんだ。」と思いながらいつも鑑賞している。聖母子像や阿修羅像のようなわかりやすさがない。現代の社会問題や個人の心理的課題を表出しているから難解なのかもしれない。

展覧会に参加している女性アーティストたちひとりひとりにインタビュー動画があり、コロナ禍を生きる彼女たちの生々しい声を聞くことができ、大変興味深い展覧会だった。(2時間弱で見きれなかったので、もう一度行く予定だ。)

インタビューの中で「なぜあなたはアーティストになったのですか?」という質問があったのだが、それに対して「アーティストでしかありえなかったからです。」という回答をしている芸術家がいた。かっこいい!!控えめに言ってめちゃくちゃかっこいい。それをドヤ顔ではなく普通にサラッと言いのけるところもとても良い。大して期待を寄せずに行った展覧会だったけど、はからずも大きく感動した。

今、どうやってこれからの人生を生きていこうかなと考えている第二次モラトリアム真っ只中の私としては「私は何として生まれてきたかな。」と我が身を振り返らざるを得なかった。私は現代を生きる芸能・芸術関係のプロを見るたびに「どうしてこの人たちは芸の道に生きることにしたんだろう。そしてそれで食べていけるのすごいなぁ。」と思っている。特に現代アーティストの作品は巨大で空間も人手も多く使うものが多い。どうやってその創作活動ができる環境(人・モノ・金!)を調達しているのか気になる。でも、アナザーエナジー展の「アーティストでしかありえなかった。」という発言を聞いて「ああ、もうそう決まっていたんだな。」と納得した。それは本人の覚悟なのかもしれないが、もしかしたら「そうとしか本当に生きられない(他の生き方はできない)」という意味なのかもしれない。だとしたら、ヒト・モノ・カネはそうとしか生きられない彼女たちが自分で苦心して築き上げていったのだろう。それは非常にしんどい道だと思う。だが、一点突破の潔さがある。現代芸術家の中には「90を過ぎてやっと世間に認められた。私はalmost 1 century待っていた!」と言っている人もいた。人生、夢があるもんだなぁ。高校の時、クラスのお調子者タイプの男の子が卒業アルバムの将来の自分という欄に「夢を叶えてるか、夢を追いかけてる」と書いていた。その時も、私からは逆立ちしたって出てこない言葉だなと、猛烈に羨ましかった。


これからの転職について、今までのキャリアを活かすならこっちの道だな、、などと視野を狭く考えていた。まずは私は何として生まれてきて生きていきたいのかの軸を立てたほうがいいなと思った。周りの人に「私ってどんな仕事が向いてると思う?」と聞くと、みんな「うーん」って考え込んでしまい「お花活けるの好きだから、やっぱりそういうアーティスト系がいいんじゃないの?」と言われる。生け花の先生になる気はサラサラないのだが、友人が言うことは的を射ている。私は文章にしろ花にしろ、表現することが性に合っている。表現者として生きていきたい。私が書く文章は、第一義的に「私を救うため」なのだが、生々しい私の文章にcall and responseのように読んだ人の心に何かが広がるといいなと思う。合わせ鏡のように書き手と読み手がお互いを照らす星になりたい。


過去を卑下して自信を失うことは簡単で、努力しない楽を手に入れられる。怖くても自分を信じて、道を切り拓く人間でありたい。私の命の使い方はまだまだ深く深く宇宙に広がる予定だし、私が投げかけた言葉はもっとたくさんの人の心を震わせることができると信じて。これからも人生の苦楽を肥やしにして、文章をたくさん書いていく。

みんなは、何として生きている?

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