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丁寧な暮らしにもう惑わされません
新型コロナの感染拡大と体調の関係もあって、長く兵庫の実家に帰っていない。電話ではよく話しているのだけど、「ビデオ通話したら?」と夫にすすめられ、昨年試してみたら、たいそう喜ばれた。
家族の顔もさながら、背景に懐かしい居間が見えて、まるで実家に帰れたような気持ちに。会話自体は電話の方が落ち着いてできますけども、よい時間を過ごすことができました。
「ビデオ通話するから」と電話で予告していたとき、母が「髪が真っ白になって、おばあちゃんになってるから」と言っていたんです。
それまで母の髪はごま塩系。真っ白のイメージはなかったのだけど、画面に映った母は、聞いていた通りきれいな白い髪になっていて、「わぁ、いいな〜」と思った。
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先日、美容室に行ったとき、そのときの話をした、ほほえましい雰囲気で会話は進んだが、「白髪になるんだったら、あんな風になれたらいいな〜」と話すと、担当さんは……。
「加藤タキさんや草笛光子さんみたいにセットするくらい髪にボリュームがあると綺麗だけど、ショートヘアで真っ白だと〈おばあちゃん〉って感じになるから」と、肯定的な感じではなかった。
美容師さんたるもの、美について思うところはあるだろうし、美しいお二人を思い浮かべ、説得力はあった。でも、本人が気に入っていれば、いいんじゃないかな。
ちなみに母は白髪染めしなくてもよくなってラクだ、と喜んでおりました(それもまた羨ましい)。
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以前、あるエッセイに、「ちゃんと手の手入れがされているような暮らしをしたい」という話が出てきた。
出た〜。ていねいな暮らし派〜。
その文章からは、「手の手入れをしないような人にはなりたくない」というニュアンスも感じた。
確かに手入れの行き届いた方の手を見るとうっとりします。そういう手でいられたらと思います。ただ、時間的に(気持ち的に)そんな余裕のない人や、もともとあんまり気にしないタイプの人もいるはず。
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私の母は、私が小さかった頃(母が若かった頃)はそうでもなかったが、今は日焼けとか肌のお手入れはあんまり構わない人だ。
ちょっと気にしたら? と思ったことも以前はあったが、そんな母の手を今は愛おしいと思う。母の暮らしがそこにあるから。
私も、入院だ手術だと身体が落ち着かなかったときは、今思えば、自分のことをあんまりかまっていられなかった(もともとごく基本的な手入れしかしていませんが)。
そのときは身体と向き合うことに夢中だったから、それどころじゃなかった。でも、そんなでも、いろんな新しくて面白い経験をして、世界は広く、深くなった。
丁寧な暮らしは、その人にとって気持ちがいいから、自分がしたくてしていること。人に自慢したり、人をおとしめるためのものでもない。センスがよい(と呼ばれる)暮らしもまた。
農作業やご飯の支度をしている母のちょっと荒れた手を見て、こんな豊かな美味しいものを作り出す手を、手入れしていないと否定する人がいるとしたら、それはあまりにも狭量だ。丁寧じゃない。
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