彼女 ① 忘れない
彼女 ①
2002年3月の御彼岸前の事。
いつになく神妙な顔をした息子が「母さん話があるんだけれど聞いてくれる?」と言った。
前年の12月私は再婚した。
当時私達夫婦は、1週間のうち半分を実家で過ごすという生活をしていた。
入籍して3ヶ月 息子は何かあるとまず私に相談してきた。
「実は、ある女性をこのウチに連れてきたいんだ」
私は息子に結婚相手が見つかったのかと嬉しくて胸が弾んだ・・
しかし息子の表情は暗い。
「その人 もう後幾日生きられるのか分からないんだ。
一年間治療してきたけれど彼女は延命治療を拒否して、残りの命を好きなように生きる方を選んだ。
彼女の望みは最後の時を僕と一緒にいたいって、言う事なんだ。 もしそれをいけないというなら
僕はどこかにアパートを借りてでもそうしてあげたいと思っている。」
あまり出かけることの無かった息子が、1週間に一回位・・
仕事から帰ると、台所で何か作っては二時間くらい家を空けることがあった。
どこに行くの?と聞くと、 仕事関係の人の面倒見ていると言った。
息子は福祉の仕事をしていたから そんなこともあるのだろう位に考えていた。
でも息子は長期入院ですっかり食欲の無くなっている彼女に手作りのおかずを作っては届けていたようだ
私は考えた。
息子の気持を考えると私は彼女を受入れられる。・・
しかし父や母の了解の方が必要だ。家には娘もいる。
私は再婚していて毎日この家にいるわけにはいかない状況だった。
息子は父や母を呼んで彼女の今の状況を説明し、誰かが反対しても
彼女の最後の願いを叶えてあげたいと言う強い意志を伝えた。
医者からは彼女の命は後一週間かもしれない。1日かも知れない。
いつどうなってもおかしくない状態であると言われていたようだ。
本来は 無菌室に入っていなければならない。
埃もいけない。猫や犬を飼っている等 我が家は彼女が生活するには適切な場所ではなかった。
でも もうその事すら彼女には意味のない心配であることを
医者から告げられていた。
何かあったときはすぐに病院で受入れてくれる約束が出来ていた。
彼女が家に来ることを病院では外泊扱いになっていたようだ
父も母もしばらく考えていたが、息子の真剣な姿を見てそれを承諾した。
・・彼女の職業は、看護師であった。
私が彼女に初めてあったのは、 それから1週間後だ。
私より高い身長。すらりと伸びた長い足。大きな瞳。 綺麗な笑顔。
彼女を見た誰が、この人の命が後1週間だと思うだろうか・・。
ただ薬の副作用で被っているカツラが彼女の病気が真実である事を
教えていた。
「初めまして・・突然ご迷惑なお願いをして申し訳ありません」
病人とは思えない 気持が良いくらいはっきりとした滑舌。
ニッコリ笑いながら私に袋を差し出した
「ご結婚なさったそうですね、おめでとうございます。これささやかな物ですがお祝いにと思いまして・・」
再婚して 初めてもらったお祝いだった。
中には、コーヒーカップと、茶飲み茶碗が二組ずつ入っていた。
今こうして考えてみると、彼女との出会いは本当に不思議なものだった。
多分偶然ではなく私達家族にとっては必然的なものであったと私は思っている。
その日から彼女がこの世から旅立つまで約3ヶ月間の共同生活が始まった。
続く・・・
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