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子ども2人の手術を経験。次女の手術を前に涙した日

息子が3歳の時、次女が2歳の時、それぞれ手術を経験している。
息子はアデノイドと扁桃腺を摘出する手術、
次女は頭頂部に近いところにあった血管奇形の手術だった。


息子の時は寝かしつけの時や睡眠時に無呼吸出あることに気付いて、すぐに耳鼻科を受診すると、家で一晩簡単に装着する機械があるから検査しましょうということになった。
検査結果が出てから耳鼻科の先生に「紹介状を書くから、すぐに大きな病院へ行くように」と言われ、予約を取り大学病院へ。


レントゲンによってアデノイドがかなり肥大していることがわかり、入院・手術となった。
口腔内手術のため、手術中は器具でずっと口を開けた状態で固定するので、術後は口の両端が少し切れていました。


術後の経過も順調で、10日ほどで退院となった。
私も一緒に病室に泊まり込んでいたので、そこまでの不安もなく、先生や看護師さんたちにも良くしていただき、今でもいびきはかくもののあの時のような無呼吸になることはなくなった。


問題は次女の方だった。今回は次女の手術について書いていこうと思う。
長くなるので2回にわけて書きます。

生後間もなくお風呂に入れていたとき、頭頂部を洗っていると私の指になにか触れるものがあった。
見てみると、打ち付けた後のように内出血している。
「あれ?こんなところ、いつの間に打ったんだろうか?泣いてないよなぁ?そのうち治るわ」というのが一番最初。


ところが何日経ったも何週間経っても一向に治らない。
みるみる大きくなっていく感じでもなかったので、しばらく様子を見ることにしたが、それはやはり、ゆっくりゆっくり大きくなっていった。


自分で調べてみると「いちご状血管腫」というのが一番近い感じだったが、でもちょっと違う。
いちご状血管腫はあざに近いけれど、次女の頭にある物は明らかにあざではなかったし、触った感じもぶよぶよしていた。


あのとき、原因や病名がわからないことが一番のストレスだった。正体がわからないので、何科を受診して良いのかわからなかったからだ。
調べても調べても何も出てこないしわからない。病院へ行くなら早いほうが良いに決まっている。

それから皮膚科や小児科、外科も含めて6件の病院を回ったが、どの病院も「これはこういう病名です」とはっきり言われることはなかった。
最後は総合病院しかないと思っていたので、後に手術をしてくださることになる大学病院の予約を取り、そこの外科を受診すると「おかあさん、これは形成外科を受診してください」と言われ、そのまま形成外科へ。


そこで担当してくださった先生が「これは血管奇形ですね」と、やっと教えてくれました。
次女の頭にあった血管奇形は生まれつきのもので、何らかの原因で毛細血管がとぐろを巻いているような状態だと説明があった。
ただ、その時点で月齢が低く、すぐに手術ができる状態でもなかったので3歳を目処に手術を考えましょう、という話もあった。それまでは定期的に通院して様子を見ることに。


月齢が少しずつ上がるにつれて動きも活発になり、血管奇形の場所がちょうど枕や布団に当たったりこすれたりして出血するようになってきました。
頭部の出血なので、少しの傷でも出血量が割と多く、タオルで抑えてもなかなか止まらない。
しかもその出血が寝ている夜中に起きるので、夜間の救急で何度も病院へ行くことが続きはじめた。


本人も寝不足で私も次第に疲労が溜り、見かねた主治医が外科部長の先生に掛け合ってくださって、急遽手術が決まったのだ。


ちょうど8年前の今の時期。3歳を予定していた手術は1年早まった。
梅雨に入ってジメジメした日が多く、傷口が早く治ってくれたらいいのに。と母と話していたことを覚えている。


手術日も決まり、それに合わせて入院。このときも私も一緒に泊まり込んでの入院だった。入院の予定は2週間。
当時次女は髪の毛が長かったので、手術の際には細菌が入らないようにするための対策や術後の消毒などの処置の際のことを考えなければならなかった。
先生には髪の毛を全部剃る(丸坊主)が一番安心だと言われていたが、すぐには「わかりました」と答えられなかった。
かと言って、頭頂部だけ剃るのもおかしい。何日か悩み院内の美容院で二回に分けて髪を切った。一度目は肩まで。二度目は手術前日に丸坊主にしたのだ。


本人の気持ちはどうだったかなんて聞いてないし多分本人もわかっていなかったと思うけれど、丸坊主にすると息子によく似ていて予想以上に可愛かった。


散髪を終えたら、手術に備えて髪を洗ってもらう。
このときに次女がベッドの上で泣いて暴れてシーツに患部がこすれて出血しだしたのだ。このときの出血量が一番多かったかも知れない。
患部を触られるのは、ずっと嫌がっていた。
これまで何度も出血するのを見ていたし家では処置していたし、なんてことなかったのに、あのとき次女が泣きじゃくってあんなに暴れたのは初めてだったのでシーツの他にもベッドや器具、床や看護師さんの制服なんかにたくさん血がついてしまったのだ。
処置の途中だったと思う。母に電話をかけて泣いてしまった。
「どうしよう、〇〇(娘)の血が止まらない」と。


別の検査では患部以外の別の場所に同じような血管奇形がないか、調べてもらったが、それは大丈夫だった。
また、この奇形になっている血管がどこから立ち上がっているものなのか、という検査もしてくださった。これは例えば脳内から立ち上がる血管に奇形があった場合、形成外科だけではなく脳外科、神経外科の先生にもご協力いただかなければならず、大事だったからだ。
幸い次女の奇形のある血管は皮下からのものだったので、形成外科だけでの執刀になった。


そうこうしてる間に無事に処置や検査も終わって、手術の日を迎えた。
もちろん手術室に入っていく次女は一緒に主治医と一緒に執刀してくださる男の先生に抱っこされて大泣き。それを見守ることしかできない私。
息子の時もそうだった。
私は無力だった。
母親なのに、こんなにも無力だなんて。代わってあげれるものなら代わってあげたい。息子の時も、次女の時も同じ想いでした。


数時間の手術は、病室で静かに待つことになったけれど、持ってきていた本を読もうと広げるも、結局そんな気分にはなれなかった。


そして手術を終えて出てきた次女は麻酔で眠っていて、その頭は包帯でグルグル巻きになっていた。ただ眠っているだけなのに、娘が起きて私の顔を見るまですごく心配だった。


長くなったので、今回はここまでとします。

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