ヴィパサナ瞑想に寄せて - なぜ足裏かについて

なぜ、ヴィパサナは足に集中するのか謎だった。
それなりに由来があるのだろうが、次は私の考え。

人間の全体性について考えた時に、認識が消失する点を意識する結果になる。目線は限りなく遠くの地平線へ。肉体の感覚は果てしなく遠くへ。
全体性に時間も空間もない。それは存在の全体なのだから、部分が存在しない。
一方で、それを阻むものは何か?それは地球との接点である足裏と規定する。これは瞑想のための一時的な誘導のようなもので、全体性と地球との接点が足裏となる。

むしろ、全体性へと向かうとき、意識、目線、上半身、身体が遠くへ向かう中で、足裏だけが地球に接点を持っているため、そこへ向かわないという選択肢が生まれる。

個人的に、もしヴィパサナを指導することがあったら、このように教えたい。ただし、地球との接点を意識的に持ちたくないので、教えることはないだろう。すでに意識は肉体という地球を模した入れ物に閉じ込められているため、これ以上に地球とは関わりたくない。

今オステオパシーに傾倒しているため、全体性とは、バイオダイナミクスの系統に属する全体性が根底にある。

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