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わたしと、木彫りと。

世界観をぐいぐい出したいわけじゃない作家?

私はどんな作家だろう?というのが、最近のテーマなのですが、あえて書くならば、一人一人の、日々の暮らしに寄り添いたい作家です。
芸術家のような独創的な世界観があるわけではなく、同じ品質のものをコンスタントにたくさん作りだせる職人肌でもない私ですが、これが私という作家の強み、というのは前回の記事「使い手と一緒に紡ぎ出すものづくり」で触れました。

何か素晴らしいものを作って何かを成し遂げようとする事は私にとってはさほど重要ではなくて、人の想いに寄り添う物を形にしてお届けする、つまり、使い手と一緒に形を紡ぎ出す事が何よりも尊いと感じている事、それが私という作家の強みだと思っています。

「使い手と一緒に紡ぎ出すものづくり」より

とはいっても、どんな作風で、何を作れる作家なのか、というのは、明らかにしておかないとお互いに困りますので、今回は私の作品の世界観とそのルーツ、作れるもの・作れないものについてお話しします。結論から言いますと、世界観をぐいぐい出したい訳じゃない作家です。

中世ヨーロッパだったり、絵本だったり。

自分の世界観を客観的に見るのは案外難しいものだな、というのが最近の気付きです。作品を手にした人から、「あゆみさんの作品てこうこうこうだよね」と言ってもらって、初めて、あぁそうだったんだ、と気づく感じです。
もちろん自分の中に好きなテイストはあって、そのテイストに基づいた形になっているとは思いますが、改めて世界観となると、一口には言えない。。今まで生きてきた中で自分の中に取り込んできた、美しいと思える物の感覚を自分の中で愛でて、醸造して、形にしている、言葉にするとそんな感じなので、中世ヨーロッパの農村の家にあるような、はたまた絵本の1シーンに出てくるような素朴な木彫りの物、というのが私の世界観になるかと思います。

作家感のない作家

その物が際立って個性的であったり、存在感や凄みがある、そういった物ではなくて、風景に溶け込み、周りのものと調和している物であって欲しい、そう願って作っているものですから、アート作品とは違うし、これが私の世界観!と前面に押し出したい訳ではないのです。
となると、私は一体どんな作家なのだろう?という出だしの疑問に戻る訳ですが、これは前述したとおり、「人の想いに寄り添う物を形にしてお届けする、つまり、使い手と一緒に形を紡ぎ出す事が何よりも尊いと感じている」作家、という事になるかと思います。アーティストでもなく、そして作家というよりは、村の鍛冶屋さん的な存在でありたい、という感じでしょうか。「え?こんな事で困ってるって?ふむふむなるほど、では形にしてみましょう」という風です。
独創的な世界観があって次々作品を世に生み出すアーティスト肌の、作家感感のある作家ではなく、日々使う道具に小さな困りごとを抱えたお客様のご依頼に木彫りで応える仕事人、それを作家と自称していいのかどうかわかりませんが(木工作家、あるいは木彫り職人とも呼んでいただくこともあって、どちらでもいいか、と今のところ思っています)、良いのであれば、作家感のない作家、という事になるかと思います。

作れるもの、作れないもの。

木彫りで困りごとに応えるのはいいけれど、いったい何を作れるというの?という疑問をお持ちの方も少なくないと思います。実は、今のところ、私にもわかりません、正確に言えば未知数です。というもの、今までいただいた、木彫りでこんなものを作れるか?というご依頼に対して、NOと答えたことはなく、前回の記事で一部ご紹介させていただいた通り、形にしてきました。ですから今後、どんなご依頼であるにせよ、よほどの事がなければ形にするでしょう。逆に言えば、あと2、3年もすれば、作れるものはもっと明確になっていると思いますが、それではあまりにあやふやなので、ご参考までに、今の段階で作れるもの、作ってきたものはざっくり書いておきます。
・カトラリー(食事スプーン、コーヒーメジャー、ジャムスプーンなど)
・調理道具(ヘラ、調理匙など)
・豆皿など木皿
・バターケース
・コップ
・小物(マグネットやカードスタンドなどの文具類、針山やボタンなど裁縫道具)

twitterのご縁で制作した夫婦椀。
荒削りまでしていただいたものをお預かりし、仕上げ彫りしたもの。
使いやすいと評判の調理匙。

以下は木彫りではないですが、これまでに作ってきたもので、ご依頼があれば制作できるものを挙げておきます。
・ローベンチなど小型家具
・収納箱
・簡単な装額

道具や環境の制限、技術の不足により作れないものも当然ございます。無暗に引き受けては、かえって大きなご迷惑をおかけしてしまうことになるので、明記しておきます。
<作れないもの>
・大型家具全般:技術的に作れなくもないですが、手持ちの小型電動工具を駆使しての造作となるため、芸術性は皆無で、DIYの延長といった所です。
・華麗、華美な物:ロココ調やバロック調といった華美な装飾を含む物は、制作できません。

最後に

現代の物質社会は、良いものが霞むぐらい、余りにもたくさんの物にあふれていて、自戒を込めてですが、「これでいいか」という選択を安易に繰り返してきた結果、自身の感覚を鈍らせてきたのではないだろうかと感じています。
「必要でもないおまけや付録」、「安かろう悪かろう」。そんな物を、その必要性や行く末について深く検討もせず、利益のためだけに次々に作り廃棄しまた作る。その怠惰なサイクルに、強い憤りを感じているからこその木彫りなのです。
物質社会と決別し山ごもりするほどの強い意志はない、弱い私ですが、自然に還る素材で、一人一人に合った道具を拵えることで、物と人との関係性が廃棄的なものではなく、気持ちの豊かさ、調和を産み出すものになるのではないかと信じています。

最後は少し大げさになってしまいましたが、作品の世界観とそのルーツ、作れるもの・作れないものについてお話ししました。
次回のテーマは未定ですが、少し肩の力を抜いていこうかなと思います。
最後まで目を通して下さり、ありがとうございました。


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