本質を問う
家事の効率化を家族間で共有できると良い。
だけどなかなか定着しづらい。
それはおそらく私以外の家族にとって重要でも有益でもないからだろう。
例えば
シュレッダー
使わないときはコードを本体に巻きつけて床から浮かせておけば毎日の掃除機がけが楽になる。
パントリー収納
ジャンルごとにラベリングし、見てわかるように食品を収納している。
夫はそんなこと露知らず。
シュレッダーを使った後はコードがだらんと伸びたまんまだし、パントリーの中は適当にしまわれている。あえて詰め込まないよう空間を設けてあるけどそこも埋め尽くされる。
家事の効率を上げるために作ったマイルールは夫には適応されないのか。
同じようにしてくれないことに不満を抱く。
だけどマイルールから外れていることを指摘するのは自己満足でしかないと思う。
こだわりを通して家族にマイルールを守らせて嬉しい?
そもそも何のために整理収納をしたり家事の効率化をしているのか。
自分が機嫌よく過ごすためである。
ルールを守ってくれないと不満を抱くのは本末転倒である。
優先順位は人によって異なることを今一度思い返そう。
掃除機かけないし、たまにしか買い物しない
夫にとってはこうした私のルールはさほど重要でも有益でもないのだ。
家族みんなで共有することが目的なのではなく、自分が心地よく過ごすことが目的なのである。
せっかく作ったマイルールを無視されているような気がして傷ついたのであってそこは混同してはいけない。
自分が心地よいと思うならそれでいいはずで、人にも同じように求めるべきではないよね。