阿蘇山

日本人はどこから来たのか その2

前回の記事では、

・20000年前、スンダランドから海路でたどり着いた人々(A系統)

・30000~20000年前、北方から陸路で入ってきた人々(B系統)

がいたが、縄文人の祖先と言うには勢力が弱い、という点まで触れました。

その後も新たな人々の到達は続きます。

およそ13000年前、モンゴル高原を経由し、北方から陸路で日本列島に到達した集団がいました。彼らをC系統と定義します。

モンゴル高原経由で北方から…と聞くと、いわゆる北方系のモンゴロイド(テルマエ・ロマエ風に言えば「平たい顔族」)を想像する人もいるかもしれません。

生物学的な観点から見ると、

・グロージャーの法則…低温・乾燥した地域になるほど体色は明るくなる

・アレンの法則…寒冷地では、手足や耳,鼻などの体の突出部分が短小化

・ベルクマンの法則…寒冷地になるほど体が大型化する

が知られています。もっとも、例外も多くあくまでも指標に過ぎない、という話もありますが…。

ただ、このC系統の人々は

アフリカ→インド→スンダランド→モンゴル→日本というルートをたどっています。

多くの時期を南方で過ごしているため、南方系の特徴を有しているのです。

このC系統が、縄文人の主な祖先と言え、「日本人」の形成に比較的大きな影響を与えたと考えられている集団です。

付け加えると、C系統が使用していた言語(現在の日本語の元)は、南方系(ポリネシアなど)の言語です。

実は日本語とポリネシア系の言語とその話者には面白い共通点があります。

母音言語である

自然音が左脳(言語野)で認識される…つまり、ただの音ではなく言葉(意味のあるもの)として自然音を認識している

という点です。細かい部分を突っ込むと本題から完全にずれてしまうので、この部分についてはまた機会を見て書きたいと思います。(実は上記の話は、掘り下げると実に面白い部分なのですが…)

上記の点から、C系統が南方出身であることは間違いないと考えられます。

そして、縄文文化はC系統の集団が中心となって栄えていきます。

さらに、縄文時代になってからしばらくして(およそ10000年前)、南方から人々が九州・沖縄地方に到達します。これをD系統と定義します。

D系統は、縄文海進(温暖化による海面上昇)でスンダランドを脱出した人々であると考えられています。

それなりの人数がいたようで、沖縄や九州に勢力を拡大します。しかし、D系統はある事件が原因で、九州から駆逐されてしまいます。

それは、およそ7300年前に起きた、鬼海カルデラの破局噴火です。

こちらはNewtonから引用させていただいた姶良カルデラの超巨大噴火イメージです。

破局噴火は、通常の火山活動とは桁違いの規模の巨大噴火です。

鬼海カルデラは、九州の薩摩半島から南におよそ50㎞の所にあります。

鬼海カルデラ破局噴火では、九州南部にまで火砕流(超高温の火山ガスの突風)が到達して、その地域の縄文集落を根絶やしにしたと言われています。

その集落跡からは船を造る工具や燻製施設、独自の土器の残骸も見つかります。これはスンダランド出身の海洋民族、という推測を裏付けるものです。

さらに、大量の火山灰が積もったため、それからしばらくの間、九州にほとんど人は住んでいなかったと考えられています。

しかし、それから5000年が経過したおよそ2300年前、大陸から日本列島にたどり着いた人々がいました…。

今回はここまで、ということにしたいと思います。


ここまでご覧いただきありがとうございました!

内容がどうしても地理寄りになってしまうこと、そして(私の文章力の低さもあり)読みづらいかな?と反省している部分があります。

記事を書きながらスキルアップし、内容も改善するように努力していきたいと思います。気長にお付き合いいただければ幸いです。

過去の記事でも、ん?と思った部分については少しずつ加筆修正していこうと思っています。


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瀧波一誠
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