Organize my thoughts
毎夜、9時になるとどこからかお寺の鐘が聞こえてくる。ゴーンという音を聞きながら、思い出したことがあった。
私が小学生の4年生か5年生の頃に、お寺に座禅を組みに行っていた。そこは地域のお寺で、大人や子どもが週末の夜に20~30人ほど集まってくる。なぜ行きだしたのか覚えていないが、座禅を組んだ後にお菓子がもらえるので、お菓子目当てに行っていたんだと思う。
大人も子どもも集まれば、賑やかになる。特に子どもたちは、普段夜に友達と遊ぶことはないので、大はしゃぎだ。本堂はかなり広く、さすがに御本尊様にはちょっかいはかけなかったが、ドタバタとみんなで走り回っていた。
それでも時間になると、大人も子どもも一列に並び、座禅を組む。先ほどまでの賑やかだった雰囲気が座禅を組むことで、静かな空間へと変わっていく。その空気の移り変わる様は、今思うと浄化という言葉がふさわしいのかもしれない。大人も子どもも背筋をピンと伸ばし、その空間を味わおうと目を閉じる。住職の法衣の衣ずれだけが、唯一の音だ。
30分ほどの座禅中、私はしーんとしてるなあ、お線香の匂いがするなあ、とかしか考えていなかった。後半は足が痺れてくるので、早く終わらないかとばかり考えていた。
子どもの頃は座禅をする意味とかよく分かっていなかったが、今となってはいい経験だったと思う。
実は過去の思い出をつらつら書いているくせに、あんまり過去のことは思い出したくない自分もいる。ここに書くのはどうでもいいことや、おバカなことばかりになのだが、それと一緒に思い出したくもないものも掘り起こされる。
嫌な思い出は、地中深く埋めたにも関わらず、掘り起こして蓋を開けるたびに新鮮な臭さを放ってくる。その匂いにむせ返りながら、恥ずかしさと悔しさ、悲しさに向き合うことになるのがどうにも面倒だし、しんどい。
湧き出る感情に嫌気を感じながら、なぜか私は過去を掘り起こしてしまう。
きっとこの感情を浄化したいのかもしれない。もしくは、もっと深く埋めてしまいたいのか。どちらにせよ、いま座禅を組んだら、住職に警策(棒で叩かれること)をいただきそうだ。