見出し画像

Organize my thoughts

思い出の扉を一度開けると、いろいろ記憶が押し寄せてくる。

野猿時代の話にまたなるが、当時住んでいた地元は車で5、6分も走れば、海にたどり着くので、よく海水浴に行っていた。海水は特に綺麗だったわけではないが、地元民からは愛されている海だった。監視員も誰もいない海だったが、海水浴シーズンには砂浜にテントを張って、キャンプや海水浴をよくしていた。

その日も家族でキャンプをしていた。だがその夕方、両親は私達三兄弟を置いて家に帰ってしまった。手狭なテントでは三兄弟が寝るのが精一杯だったのもあったし、両親もうるさい子ども達からちょっと離れたいのもあったんだろう。私も他の兄弟も、親がいなくて寂しいというより、自由にできてラッキーだと思っていた。周りにはキャンパーがいっぱいおり、あとは寝るだけだったので、全く困らなかった。

夕方といえど、夏だったのでまだまだ明るく、そして暑かった。私達は目の前の海で遊ぶことにし、私は浮き輪で海に浮かんでいた。どれくらい浮かんでいたのか覚えていないが、気がついたら薄暗くなっており、波が大きくなっていた。でも兄もまだ近くで泳いでいたし、他の人も泳いでいたので、私は安心して波に揺られて喜んでいた。

ところが突然大きく波が引いて、私だけ浮き輪ごと少し沖に連れて行かれてしまった。返す波も同様に大きければいいのだが、返す波は小さかった。さすがの私も焦った。子どもながらに危険だと察知したのだ。

結局必死に泳いで戻ったのでことなきを得たのだが、薄暗い中あのまま沖に連れて行かれていたらどうなっていたのかと後からゾッとした。

これだけではなく他にもいろいろやらかしたり、危ない目にもあったのだが、振り返るとよく自分は生き延びたなあと思う。

実はやらかしたり、危ない目にあったほとんどの話は、親は知らない。この海での一件も親には黙っていた。怒られたくなかったのか、心配させたくなかったのかと、いろいろ考えてみたけれど、大事には至らなかったのでオッケーだと結論付けて話さなかっただけだと思う。

野猿のような娘で親はきっと心配だっただろう。いや、心配していたのかな?まあ、いっか。こうして生きてるんだから。

いいなと思ったら応援しよう!