番外編⑥:一度沼を脱出したオタクが鬱を経て再度沼に落ちるまでの話。
これは小学生で二次オタになった少女が大人になって一度脱出した沼に再度落ちるまでの物語です。
※ここでの沼は二次元コンテンツ全般を指しています。
第六章 第一次「しんどい」期と愉快な相棒たち
~あらすじ~
サブカル文化の開花により、自分のオタ活がマイノリティになり「にわか」のレッテルに耐えられず逃げる。
「にわか」だと自認しながら周囲に合わせて大学生活を送った私は、コロナ禍のまま新社会人になりました。
おそらく私の事を知っている友人は、十分オタクだったよ?と言うと思いますが、私は自分らしいオタ活ができていませんでした。
社会人生活は忙しさで趣味どころではなく過ぎていきました。
オタクをやめた私は、自分の無趣味さに正直驚きました。いざ趣味は?と聞かれると語れるような趣味がありませんでした。少しかじっていた事をとりあえず述べて挨拶をしました。
中学時代は、私はいろんなコンテンツを推しながら大人になって、自分で稼いで好きな作品の漫画を集めたりしてオタライフを満喫して過ごしていくんだと思っていました。ふと、こうやって人は「オタク」じゃなくなるんだな……と思いました。
そんな私に第一次「しんどい」期がやってきました。1年目の12月頃だったと思います。
仕事にそこそこ慣れてきた頃でしたが、大きなクレームが重ってしまいました。
「仕事をしていればこういう事もある。」先輩はそう言ってくださいましたし、私も仕事をしていれば失敗やクレームが発生することは理解しています。
でも、割り切って強くなれるほど私はできた人間じゃありません。
落ち込むだけ落ち込んだ私はふと、手を付けていなかったボーナスでスイッチを買いました。
卒論を書き終えたらポケモン新作をやろう!卒業したら今度こそポケモンをやろう!……そう言ってコロナになり、スイッチ需要で入手困難に。
ふとオンラインショッピングで見つけたスイッチを買ったのです。
さっそくポケモン盾をプレイしました。相棒はメッソン!
ポケモンは小さい頃から好きなコンテンツです。周囲にもポケモンが好き!と公言していました。私はカードゲームや厳選はしていません。(ここでも私はポケモンオタとは言えないのかも)単純にコンテンツが好きなのです。
剣盾にはパーティーポケモンたちと戯れる機能があります。私は仕事から帰宅後1時間ほどゲームをしていました。
「偉いねー」「かわいいねー」
そう言いながら、私はよく泣いていました。(当時の私は精神的にちょっぴり不安定でした)
何が悲しいのか、どうして涙が出るのか分からないまま、でも誰も見ていないんだからと泣きました。
インテレオン達にありがとうって言いたいです。
相棒たちに救われた私はなんとか年を越しました。
しかし、これは一回目に過ぎなかったのです……
2年目に入った頃、私にとっての最大の精神的ピンチが来ます。
同期の辞職と上司の交代が重なり、環境が変わりました。同期の抜けた穴と職場に慣れない上司の代わりを全て押し付けられ、1年間働いただけの私にキャパオーバーが来たのです。
家に帰っても誰もいない。愚痴を吐き出す場所もない。ストレス発散の方法も分からない。
ただ、会社の人に病んでいると思われたくない、根性がない、使えないと思われたくない。そんな時代錯誤な考え方から、私は誰にも相談せずに気丈にふるまいました。
少なくとも、私は悟られないように振舞っていたつもりでした……
ある日、一番会話する機会が少なかった同期の子と帰るタイミングが一緒になりました。彼に、愚痴を聞くからご飯に行こうと連れ出されました。
私は、他人に愚痴を言うのが嫌いでした。聞く方もしんどくなる事を知っているからです。
「たまには愚痴くらい言っても良いと思うよ。」
彼にそう言われたのを今でも覚えています。私は愚痴を聞くのが専門で、相談相手にはいつも「言ってもいいんだよ!」と伝えてきました。その言葉を、まさか自分がかけられる日が来るとは思いもしませんでした。
その後、立て続けに別の同期達にご飯に誘われました。
後で教えてもらったのですが、私が鬱で仕事をやめてしまうのでは?と心配してくれていたそうです。優しい同期に恵まれたな……と思います。
さて、そんな同期の心配も知らない私は、このままでは本当に病んでしまう!元気が残っているうちに対策を講じねば!と趣味探しを始めるのでした……
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