「ツダマン」② with ゼリ兄。
昨晩、京都で松尾スズキ作・演出「ツダマンの世界」。私は2度目の舞台。
昨日は、背が高くて、顔が可愛くて、字が上手で、取締役専務で、「チームしょんぼり」仲間のゼリ兄と一緒に。「一年で一番忙しい数日」だという話なのに、無理を言ってご一緒してもらう。まったく、忝い…!
初対面のゼリ兄は、ホント好青年だった。出会うまでの細かな連絡も、登場のタイミングも、トイレの配慮も、帰りのクルマの手配も、そして手荷物の少なさも、すべてがスマートだった。惚れました。(別れ際、心の中では「はいほー!」と言っていたのですが、恥ずかしくて口に出せなかったのが口惜しい…!(>_<))
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2度目の「ツダマン」は、やはり良かった。前回よりずっと良かった。しみじみ、良かった(ちょっとだけマチネの疲れが感じられたような気もしたんだけれど…。(^◇^;))。
太宰治(本名:津島修治)とその師・井伏鱒二(本名:滿壽二)がツダマン(津田万治)とその弟子・長谷川葉蔵に、そして長谷川葉蔵には『人間失格』の主人公・大葉葉蔵が複雑に絡み、もっと時間をかけて「謎解き」をしたい気もするのだが、それは(横着だから)パスで…。(苦笑)
それよりも、芥川賞(月田川賞)の候補作を、そもそも候補とすることに当人の可否がいるというのをこの舞台で初めて知った。これは、これまでに何度も候補に挙がってきた松尾スズキだからこそ知っている事実なのだろう。そして、落選したときの失意についても。松尾スズキも、宮沢章夫も、芥川賞、上げるべきだったのになぁと個人的には思う。選考委員らはこの舞台をどう見てるんだろう…?
劇中で、阿部サダヲらが(「かっぽれ」を歌い踊りながら)文化の重要性を述べる場面についても、コロナ禍において文化・芸術の重要性を訴えたドイツ、メルケル首相の演説など連想した(やや「くさい」くらいだけど、でも、結構マジなんだと思うよ。)。これをみんなどう見てるんだろう…? 作家らは、それだけの「訴え」をすることができたの???