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「うつ」「に」の「さん」♪

毎日々々、こんな暗くて重たい日記、自分でも正直イヤなんだけど、でも、今日も…。(涙)
「その参」、です。
この「話題」、今日でひとまず「終わり」にしたく思っています。(とは言え、またすぐに書くんですけれどね。あくまで、「ひとまず」、です。(苦笑))

今朝もなかなか起きられず、布団の上には昨日写真を載せた漫画のように「もじゃもじゃ(ブニュブニュ?)」がいるような気がして(これは逆にマンガのせいだな、きっと…。(涙))、だけどそれを撥ね除けて起き出し、(ちゃんと、お弁当も詰めて、ひげも剃って、洗濯物も干して)出勤をするのですが、出勤の車中はなんだかずっと泣き出しそうだし、
「このまま出社せずにどっか行っちゃおっかなぁ?」
とか、
「帰りに死のっかなぁ?」
とか、
「死ぬ前にはちらっと「家」に立ち寄ろっかなぁ?」
とか、そんなことばっかり考えているのです。(情けないことだと思っています。)

仕事は「普通」にしています。
高**師(国*)なのですが、今日も3*生には、
「難しい範囲だったけど、めっちゃ分かった気がする!」
とか言ってもらえ、それはそれで嬉しかったのですが、でもね、私自身としては、授*中ずっと、自分の発する声が、どこか、自分の体とは違う離れた場所から聞こえてくるような感じが、していました…。(それは、少し、怖く思えるようなことでした。)

夜、死ぬ前にちらっと「家」に寄ったとしても、たぶん「妻」はそのことの意味を察知してはくれないだろうと思っています。(「家」の前を通過するくらいではきっと何も感じもしないことでしょう。もちろん、それはお互い様のことだと思っておりますが。)

別居前に一度――その日は、私が死を強く決意していた日でした。――私が「妻」に手を差し伸べたらかなり厳しい表情で激しく撥ね除けられたことがあったし(でも、そのお蔭で死ななかった。(苦笑))、逆に、出て行く前の私に、「あなたを抱きしめたいと思った瞬間もあった」と言われ、私が、「いやいや、それは私はたぶん怒っていたと思うね…」と応えたこともあったし、とにかく、互いに、互いの心情がまったく読めない状況にあるのです、今の私たちは。

4月始め、「家」を追い出された直後、「妻」がメールで、
「この数か月、あなたにはひどいことをしてきたように思う」
と言ってくれたことがあって、私は、
「その一言に救われた思いがします」
と返事をしたのですが、確かにそうではあるのだけれど、その「救い」は、何か月も、あるいはさすがに半年もは持ちはしないのです…。(涙)

でも、(そのときの)「妻」にその思いがあったのならば、例えば先日私に、
「二度とAmazonの誤配はしないでね」
と言ってきたり、
「感情は抜きにしてね。本当に分かってるの?」
と言ってきたりしたことについても、彼女はひょっとすると、
(私、きついことを言ってるよなぁ…)
と反省(?)しているかも知れず、それを思うと、私はやはり「現状」に耐えねばならないようにも思うのです。(「妻」をそんな状況にしたのは、「今」のような、こんな私のせいなのだし。)

「出て行く」「出て行かない」の話になった昨年度末の2か月の私は、本当に「ボロボロ」「ズタズタ」でした。毎日すべての「接触」がケンカ腰(←それは主に彼女。)で、毎日が修羅場で、ああ、あの時期を思うと確かに今の方がずっと安定した心境で過ごせているのかも知れないなぁ…。(私も、彼女も。)

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上の写真は今日の帰り道。信号待ちの間にスマホで撮ったんだけど、スマホが気を利かせて明るく露光してくれたようで、本当はもっと重苦しい雲だったはず。(今日の自分の心境に合うなぁ)と思って撮ったつもりだったんだけどなぁ…。(苦笑)

今日もまた、はじめましての方からのたくさんの「スキ」、「フォロー」、ありがとうございます。今日もまたなかなかそちらを読みに行ったり、「スキ」をしたり、コメントを残したりする時間的、気分的余裕が無いこと、許してください。
でも、私、皆さんの「スキ」にずいぶん救われております!

明日(以降)は、もう少し楽しい話を書ければと思っています。もちろん、生きて。


皆さんに感謝です♪