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疲れとデレデレ。

1週間、疲れた…!
金曜日。早く帰りたかったが、今日も19時半くらいまで仕事終わらず。
どれくらい疲れたかというと、帰り、燃料のエンプティランプが点いているのにガソリンスタンドに寄れず、「部屋」の冷蔵庫にビールが2本しかないことを知っていながらスーパーにも寄れず、それくらい疲れてた。

でも、そんな金曜日をなんとか頑張ることが出来たのは、花野さんと〇〇〇さんのお蔭かもしれない。(以下、仕事の合間に書き始めた文章。)

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昨日、前に録音した朗読(宮沢賢治「カイロ団長」)を花野さんにべた褒めしていただき、デレデレしているこじかです。

これ、30分以上もある録音なので、聞いていただけただけでもありがたいことこの上ないというのに、過分なるお褒めのお言葉に、天にも昇る気持ちでした♪

コメントのやりとりの中にあるように、「解釈まで伝わる」と言っていただいたのはこの上ない喜びでした♪
(今の職場ではその仕事はしていないのですが)朗読の指導をする中で、
「朗読ってのは、自分がその文章をどのように読んだか、自分の頭の中ではどんな映像になっているかってのを聞き手に伝える作業だ。」
といつも言っていたので、花野さんのこのコメントは私にとって最高の褒め言葉でした。

これもコメント欄(など)に書いてきたことですが、この物語、最初はあまりその魅力が分からなかったんですよ(花野さんが仰るように、「圧制者と苦しむ人民」、「搾取する者とされる者」みたいな印象でした。)。でも、何度か繰り返して読むうち(それは、朗読会の当日や録音のときも含めて。)、アマガエルたちの人(?)の良さ、素朴さ、明るさ、可愛らしさを描いた話なのかなぁと思って。ラスト近くでは脚がくにゃっと曲がったガマガエルを嘲笑(あざわら)うアマガエルたちを(賢治が)とがめ、互いにいたわりあう間柄に落着させます(そこは何となく『銀河鉄道の夜』を思い起こさせます。)。だから本当は冒頭とラストのアマガエルたちが楽しく働いている場面や、あるいは気分良く杯を重ねているシーンが重要なのかなって、思いました(録音しながら気付いたこともあります。それは明らかに練習不足のせいですね。(>_<))。それが少しでも表現できていたならば嬉しいです。

先日電話でお話をしたnoterの〇〇〇さん(前に記事で書いた方とは別の方。)も、「朗読、聞きましたよ!」と電話で仰ってくださいました。そして、「優しい声だった」などと褒めてくださいました。
長い作品なので、聞いていただけるだけで飛び上がるほど嬉しいのに、それに加えて、こうしてこんなありがたいコメントまでいただくと、ホント恐縮至極です。

次、いつ朗読をする機会があるか分かりませんが、これらのありがたいお言葉を励みに、次回も頑張りたいと思います。
花野さん、〇〇〇さん、そして聞いてくださった皆さま、ありがとうございました!