見出し画像

「機嫌の良い働き手」でありたい。

実際これまで、どれだけヨシタケシンスケさんに救われてきたことだろう。
彼の弱さ、自信の無さ、ネガティブさ、後ろ向き加減が、こんな私を助けてくれてきた(ちょっと「受容」の仕方を間違えてるかもしれないけれど…。(^_^;)。
こういう生き方があるのだ、こういう表現方法があるのだ、こういう表現が(許されて)理解されるのだ、そして、世の中もまだまだ捨てたもんじゃない、って(最後のはちょっと飛躍していて厚かましく傲慢でもあるかもしれないれど)思ってきた。

『あつかったたら ぬげばいい』

昨日も書いたが、デビュー絵本の『りんごかもしれない』が2013年とのこと。うちでは結構早くから一番下の息子(現在12歳)にも見せて来たので、「我が家」はヨシタケファンとしては案外早いほうの部類かもしれない。

梅佳代『男子』

以前、NHK教育の『スイッチ』という対談番組での、梅佳代さんとの対談も素敵だった。やれ「AI」だ、やれ「効率」だ「生産性」だと言われる世の中にあって、こういうものを面白いと思える、そんな「余裕」(←それは「童心」とほぼ同義かもしれない。)こそが人間(であり「私」)なのだと、思ってみたりもするのです。

うぉ! 大盤振る舞いだなぁ…!
ヨシタケメモが壁一面に!
これは「新作」。伊丹に来るときのもの。
なぜかやたらとジップロック。
これが大きく(濃く)拡大されて展示されてるんだけど、
そもそも、元々のものは小さくて、薄い…!
これは、酒蔵。ヨシタケ展途中で、急に濃厚…。(苦笑)
こういうのにいつも救われてきました。
「あなたのみらいはこれかもしれない!」
「でも、ぜんぜんちがうかもしれない!」

 *****

実は今、ラジオ(テレビも一緒?)で「日曜討論」を聞いていて、「尾身さん」が、
「従来は国がいろいろとお願いして国民が従うフェーズでしたが、今は、一般市民が学んできたので、国民自身が判断をすべきフェーズに来ている。感染者数、重要者数、一般診療の制限、これらをどこまで許容出来るか。どうやってバランスを取るか。今回、第6波以上の高齢者の死者数が出ることが予想される。でも、社会経済を止めるわけにはいかない。それについて、国民的なコンセンサスが必要だ。」
と、そして、それを受けて某大臣も、
「政府として正しい状況を伝えきり、どこにバランスを見出すか、社会としてどこに落としどころを見付けるとより多くの人に納得してもらえるか。それを決めるのは政府の責任ですので、我々がしていく必要がある。」
と。これってさぁ、いわゆる「優性思想」じゃないの…? これまでも、こないだの選挙でも、テメェらにオレ(や他の人たち!)の命を委ねたつもりは無ぇんだけどなぁ…!(激怒)

 *****

今から息子に手紙を書く。夕方、車検明けのクルマを迎えに行くまで。
郵便局でレターパックを買ったけれど、去年1年間の「ドリトル先生 ガラパゴスを救う」の新聞スクラップは入らなかった…。昨日のコーヒー屋の紙袋に入れて送ろうと思う(ちなみに「妻」は珈琲を飲むことが出来ない…。(^_^;)。それだけじゃ寂しいから、私用に買ったつもりだったんだけど、『あつかったら ぬげばいい』も入れてあげよう。

今夕、**(=「家」のある町)に行く予定はあるが、郵便受けに消印も何もない郵便物が配達されるのは(「妻」が)いやだろうから、午後、ちゃんと発送しにいこうと思う。ポストマン(or飛脚? ネコちゃん?)、よろしく。