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鬱病と重度のペットロスになった理由、そして人生で1番悲しいと初めて思ったこと。

皆さんは人生で1番悲しいと思ったことはありますか?

私は今まで1番悲しいって思ったことがなかった。それを体験したことがなかった。ドラマ、漫画、小説などでは泣けるけど終わったらすぐ泣いてたのをやめてた。


私には幼稚園の時から9年間一緒に暮らした猫が居た。家の隣に子猫が2匹居てその子らを拾った。名前は(こはち、くろ)にした。

自分が一生懸命育てた妹が出来たみたいに。
でもある日2匹共去勢手術をすることになり病院に行った。その時は無事に終わった。でも何日か経った時に突然死んでしまった。私はまだ小さかったから悲しかったのか泣いてたのかよく分からない。ただ死んでしまった原因は病院の医者のせいだと私は今も勝手に思っている。くろが死んでしまってからはこはちとずっと過ごすようになった。小学生になって友達よりこはちと遊んでいた。いっしょに寝たり、遊んだり、食事したり、いっぱい遊んだりした。

そして近所の人から1匹猫を貰った。名前は(くろ)だけど死んでしまったくろが居たから(2代目くろ)にした。

くろは靴下を履いていて、鼻の下にホクロがあるのが特徴的だった。人懐っこいけどあまり触られるのが嫌で、どんどん育つと筋肉がめっちゃあって、重くなって、がたいが良くなって、かっこいい猫に育って行った。

ただくろはマーキングをしないように手術をしたけど治らなかった。だから親から外に猫を出しなさいと言われ仕方なく出していた。餌は家に入れて食べさせて親が仕事の時は家の中で遊んでいた。でも外に出しすぎたせいか突然帰ってこなくなった。未だに帰ってきてない。私は悲しいというよりかは不思議だと思っていた。くろは道に迷ってなかったのになぜ帰ってこないのだろう。違う人に拾われたから?私が嫌になったから?よく分からなかった

そして4匹目の猫を学校の登校中に見つけて拾った。今まで見た中で1番小さかった。手のひらサイズだった。名前は(チョコ)にした。この名前は友達と決めた。

チョコはすばしっこくて、よく食べる子で、めっちゃ寝て、とにかく元気な子だった。チョコが来た時は2代目くろはまだ居てくろとは初日にすぐ仲良くなっていた。でもこはちとは仲良くなれていなかった。雌猫は縄張りが強いから威嚇してるのかな~って思ったりした。でもだんだん仲良くなるだろうと思って様子を見てた。でもいくら日にちが変わっても仲良くなれていなかった。前よりはいい感じになれてたけど。最後の最後でも仲良くなれなかった。


そして季節が変わり夏になると猫の体にはノミがいっぱいいた。私とお母さんはノミに刺されやすい体質でいっぱい刺された。お母さんが外に出してなさいと言われたけど私はそれを拒んだ。またクロみたいになるから。刺されてでも外に出したくなかった。でも学校に行っている間出されていた。行方不明にはならなかった。

そして冬になってノミがいなくなってると思ったけどまだ続いていた。原因を探ってみるとチョコにはノミは居なくなっていて、こはちにノミがいっぱい居た。お風呂で洗ったりしてたけど増えるばっかだった。日にちが過ぎていってこはちの毛は抜けていっていた。こはちは元々毛がよく抜ける体質だったので家族も病院には行かなくていいだろうと思っていた。でも最終的には猫がトイレする所から動かなくなり他の猫にノミが移るということで檻の中で過ごしてもらうことにした。その日から餌も食べなくなり、トイレから動かなくなりぐったりした状態が続くようになった。
子猫用のジェル状の餌もあげたけど食べなかった。水は飲んだか飲んでないかの感じだった。そしてこはちは毛がだんだん抜けていき頭を撫でると骨を触っているようにしか感じなかった。強く触ったらほんとに壊れちゃうくらいの感触だった。


これは親もやばいと思って病院に連れていった。そしたらお年寄りの関係もあるし、ノミから血を吸われすぎでだんだん体が動かなくなってると言われた。
そして最後に医者に言われた言葉が、 もってあと2、3日です  という言葉だった。そばにいてやってくださいと言われた。家に帰って今度は別の檻にタオルを敷いて寝かせた。私はそのまま夜中くらいまでずっと居て明日も頑張ろうね、大好き、おやすみねって言って寝ました。それを言ったら急に何回も声が出てるか分からないくらいにずっと鳴いていました。


それが私とこはちが話した言葉でした。


朝になるとお父さんから大声でこはちが死んでしまったって言われ私は死んでないと思いながらこはちのところに行くとタオルに敷いていた所に移動していて背中を見せるように倒れていました。お尻の周りにはおしっこを漏らしていた。私はその場から少し離れて泣き崩れた。今までにないほど泣いていた。その日妹達は悲しいと言葉で言うだけであって普通に学校に行った。けど私は涙が止まらなく涙腺が崩壊してた。そして学校を休んで一日中動くことの無いこはちを目の前でぼっーっと見てた。1歩も動かず。ただただ今までのことを思い出して、泣いての繰り返しだった。手紙も3枚ほど書いた。
これが最後のこはちとの写真だ。

その日の夜にお父さんがこはちのお墓を作った。お墓はこはちと姉妹のくろの隣にした。空の上でもすぐ会えるようにと。次の日から学校に行き平然としていた。


でも3年生になった途端どこからか病んできて、人間関係もおかしくなっていき、こはちのことを思い出していた。学校は休み気味になり保健室通いが多くなった。部活も行かなくなり教室に入るのが怖くなった。全員から睨まれているように見えた。

先生が悩み聞くよって言われ全部話したらやっぱりこはちの会話をした途端涙腺が壊れた。泣き崩れた。あの時みたいに。そこからほとんど毎日泣くようになった。


そして病院に行った。先生からは鬱病と重度のペットロスと言われた


鬱病のことについてはなぜそうなったのかよく分からない。でもあの時脳の中のどこかにあった糸がプツンと切れる感じがした。そこから始まったのかと思う。そしてペットロスは9年間いっしょだったこはちが原因と言われた。先生からこはちに感情を移入しすぎていたと言われた。
猫を一旦少しでもいいから忘れてみましょうと言われた。
いつもそばに居た猫が急に居なくなってどうコントロールしろと言うんだと私は今の自分がコントロール出来なかった。
そこから薬を貰い、泣いてはぼっーっとを繰り返した。体重も数日で5キロも痩せた。死にたいと思い自殺方法をGoogleで調べたりした。カウンセリングも受け保健室通い。おまけに仲良かった子から陰口を言われ無視され散々な日々になっていた。

日がすぎて…

今はこんな状態からなんとか元に戻ってきてる。このことが鬱病と重度のペットロスになった理由だ。

こはちとくろは空で元気にしてるかなぁ。2代目くろは何してるかなぁ。

私はまだ生き続けていると信じている。居るはずないのにね…笑

ここまで読んでいただきありがとうございました!
皆さんも最後までペットの傍にいてあげてください!

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