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子どもに対するスタンス

子供の育て方、教育に興味があります。

それは、自分の子供時代の扱われ方に対して、言いたいことがいっぱいあるから、というのが発端です。

特に中学受験に対しては本当に苦い思いがあるので、SNSでたまに荒ぶっているのですが (本当は受験じゃなくて、親との関係性が問題だったと自分で結論づけてもなお、嫌いな事案。業界丸ごと爆発しろ💥)

まあ今日はそのことは置いておいて。

この間、子供とデジタルツールの付き合い方についての、オンラインイベントを視聴しました。デジタル系の専門家という立場で、違う意見をもってる2人の方の議論に、ファシリが挟まるみたいな感じ。

端的にいえば、規制の是非と、それをどのように行うか、みたいな話でした。

それで思ったことは

①専門家は、思考の材料の提出はできる。

②でもそこから出てくる指針は、結局、その人個人の思想でしかない

この二つです。

このへん、サイエンスだったら、データをもとに、客観性を前提にみんなで妥当性を話し合うわけなんですけども、社会系のものは指針が主観、思想ベースなので、だいぶ具合が違います。

ことに、こどもの諸問題に関して言えば、結局は、「その人が子供をどういう存在だと見なしているか」が最終的に思想に出るな、と思います。

バックグラウンドの知識は、そこにとってはせいぜいおまけなのですが、自分の思想の正当性を担保するために権威として利用している人もいますね。

これはデジタルメディアがらみだけでなく、性や教育に関してもそうです。

●子供を無力な存在だと思っている
●子供を大人の所有物だと思っている
●人間の光の部分をすべて委ねる (清い存在としてしか見ない)

この辺の度合いで、規制ありきの管理型の発想になるように思います。

書き方で分かると思いますが、上記3つのことをしている大人を、わたしは良いと思っていません。

もちろん子供は大人に比べれば、判断力その他は未熟なので、守らねばならないものではありますが、こちらの価値観で一方的に機会を奪うことが、彼らを守ることだとは思いません。

もちろんデジタルツールは弊害もありますけれども、それは大人も同様で、一緒に付き合い方を考えていくところだと思うんですよ。

「一緒に」というのは、ちゃんと対等に意見を聞くということです。それをしないから関係が悪くなるんですよ。関係が悪くなるとコミュニケーションもできなくなるので、良い事なしです。

大人だったら当たり前にわかることですが、子供相手だと、この原則が吹っ飛んでしまう人が多いのはなぜなんだろう🤔

そもそもネットもなかった時代に子供時代を生きたおっさんおばさん(昭和生まれの私含む)に、正解なんてわかるわけないじゃんね😇 

では、今日はこの辺で❗️

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もっくん
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