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ダイバーシティスクール
「多様性の時代にまさか高岡(たかおか)先生が…」
「高岡先生には期待していたのに、多様性を尊重しない教育者だったなんてガッカリ」
「子供の多様性を尊重できないなんて、教育者失格だよ」
保護者の声は高岡紘子(ひろこ)に聞こえるくらい大きかった。むしろ、聞こえるように言っていることがその表情から十分に伝わってきた。
普段は活気溢れる声で賑わっている体育館が、まるで同じ場所とは思えないほど景色が違って見える。
紘子を囲むようにコの字型に並べられた長机。
目の前には狡猾そうな表情で校長が座り、その両脇に教頭やら教育委員会の重鎮と思われる人物が何人か座っている。
同僚、PTA役員や紘子が担任する児童の保護者、総勢八十名は超えるだろうか。皆、紘子に煮え湯を飲まされたと、軽蔑と怒りを含んだ視線を投げ続けている。
冷えた視線の中心に置かれたパイプ椅子に紘子が腰を掛けると、校長がゆっくりと立ち上がり口を開いた。
「我々は、高岡先生の処分をどうするか何度も話し合いましたが、多様性を尊重するこの時代にふさわしくないと判断いたしました。よって、非常に残念な結果となりますが、高岡先生には責任をとって辞職していただきます」
校長の言葉に紘子以外の全員が納得のいった表情で頷いて、大きな拍手をした。
人種、出生、性別、性的指向、宗教、人々が持つ多種多様な背景を認めて、尊重する社会。多様性社会。
多様性社会の今、彼氏彼女にしたい人、結婚したい人のランキングは、常に多様性を理解し、尊重する人が男女共に一位。
製薬会社が出した多様性感度アップサプリメントは売上を右肩上がりにし、とどまるところを知らない。
多様性チェックアプリは若者の間で流行り、多様性尊重法施行後は、学校の授業で多様性を学ぶカリキュラムが追加されて、企業の採用試験には、多様性への理解度、尊重度のテストが加えられた。
そんな今、日本はまだ世界に大きく遅れをとっている。
そこで、国が幼少期から多様性の理解と尊重を培おうと、紘子の勤務する小学校を含めた全国の千五百校を多様性指定校とした。
今年で教師になって二十五年目の紘子は、教員多様性試験に合格後、男子十五名、女子十四名の二年二組二十九名の担任になった。
個性溢れる子供たちは、紘子を笑顔にしてくれて、学ぶことがたくさんあった。ときには子供同士で口論になることもあったけれど、考え方の相違は決して悪いことではない。そう話し合ってお互いに尊重し、認め合おうと教えてきた結果、信頼関係が築けてきたと確信している。
ことの発端は、紘子が骨折したことだった。
冬休みが終わって新学期がはじまったばかりのある日、休み時間に体育館へ行くと「先生こっち。こっち」目を輝かせながら紘子に声をかけてきたのは、クラスでもリーダー的存在の男子、藤田(ふじた)君だ。
「先生、一緒に目隠し鬼やろう。先生が鬼ね」
「懐かしい遊びを知っているのね。よし、一緒にやろう」
二年二組の全員が集まって目隠し鬼が始まった。紘子の目元がハチマキで隠れたのを合図に、子供たちは散り散りになった。
目隠し鬼が始まって数分たったとき、誰かの足が引っ掛かって転倒し、紘子の前腕部に激しい痛みが走った。
目隠しを外すと、それは素人目にも折れていることがわかるくらいに曲がっていて、紘子はすぐに病院へ搬送され整復手術のあと固定、その日は入院、全治三か月と診断された。
そして、病室にいる紘子のもとに、校長と藤田君の母親がやってきた。
子供たちが面白半分で、目隠しした紘子に足を引っかけてみようと計画し、藤田君が足を引っかけたと校長が紘子に伝えた。
それを聞いて紘子は、母親が病室まで謝罪に来たと思ったが、それは大きな間違いだとすぐに思い知らされることになった。
「うちの子は、なかなか謝ることができない子ですから、あの子の多様性も理解してくださいね」
「高岡先生そういうことです。謝罪ができないことも含めて藤田君の多様性です。そういった子供たちの多様性も受け入れながら、今後も指導してください。なにせ当校は多様性指定校ですから」
次いで発せられた校長の言葉に母親は深く頷き同意を示している。
いったい二人は何をしにここまできたのだろう。謝罪するでもなく、紘子の怪我を心配するわけでもない。
「おかしいですよ」紘子の口は自然と動いた。
「おかしいと思います。怪我をさせてしまったら、ごめんなさいと言う。これは当然のことです。子供たちにはきちんと話せばわかります」
「じゃあ高岡先生は謝れと? うちの子みたいになかなか謝ることができない子の多様性を尊重できないということですか?!」
「高岡先生、子供に画一的な価値観を押し付けてはいけません。そう多様性ガイドラインにも載っています。できる子できない子で優劣をつけることもいけません。これも多様性を尊重するということの一つですよ」校長が母親をフォローするように付け加えた。
「そうではありません。大人の我々が責任を持って教育すべきだと言ってるんです」
「教育? 多様性を無視した強制じゃないですか」母親が声を荒げた。
「いえ、強制ではありません。反省すべきことはきちんと反省して、自分が悪かったときは、謝罪できる人間に育てるということです。お母さんのおっしゃっていることは多様性の尊重ではなく、教育の放棄です!」
徐々に大きくなる紘子の声に母親は目を見開いた。まるで紘子の言っていることが少しも理解できない様子だ。
「高岡先生、非常によくないです。教育者であるあなたが多様性の尊重を無視した教育とは時代に合いません。人にはできること、できないことがあります。それを受け入れることが多様性の尊重と理解に繋がる一歩です」
校長が呆れた顔をつくった。
「校長先生、多様性の時代にこんな先生は合いません。高岡先生は子供たちに悪い影響を与えます。早急に対応をお願いします!」
「そうですねえ。これは大きな問題です。高岡先生の処分は追って連絡します」
そう捨て台詞を残して二人は去っていった。
それから一週間の自宅謹慎を命じられて、今に至る。
「高岡先生、聞いていますか?」校長が咳払いをしてから言う。
「やっぱり、私が間違っているとは思いません」
紘子の言葉に体育館内がざわついた。
「こんな状況になってもまだ多様性を理解していないわ」
「子供の多様性を認めること、尊重することができないんだよ」
批判の声が聞こえようと、紘子は続けた。
「多様性を認めること、尊重することはとても大切ですが…」
「はいはい。もう、結構です」
校長が紘子の言葉を右手で制した。
うんざりしたような表情で紘子を睨みつける人々。
誰ひとり紘子の意見に賛同する者はいない。
皆、これが多様性だ。と誇らしげな表情をしている。
紘子が間違っている。紘子がおかしい。
幾重にも重なった視線が紘子の思考をゆっくりと、しかし確実に蝕んでくる気がした。
もしかしたら、自分がおかしいのか?
いったい多様性の尊重、多様性の理解とはなんだろう?
わからない。答がみつからない。
これ以上は詮無いことと、紘子は黙礼して体育館を後にした。
背中に受ける非難の声は、紘子の教育者としての自信を確実に奪っていった。
校門には、多様性指定校と書かれた重厚感のある銘板が掲げられている。
紘子は深く溜息をついた。もう、ここへ来ることはない。
子供たちに別れを告げることもできないまま、学校を去ることが心残りだった。
校舎を見上げると、紘子は三階の一番端に目をやった。二年二組の教室だ。日差しが眩しかった教室は、いきいきとした子供たちを更に輝かせてくれる場所だった。
もう一度溜息をつくと、こんどは立ち去る心を決めて、紘子は校舎に背中をむけた。
ガシャーン!!
突然の大きな破砕音に足を止め、紘子が振り向くと、そこには信じられない光景があった。
二年二組の子供たちが、校舎の窓ガラスへ向かって一斉に石を投げている。
「やめなさい! やめろ!!」割れた窓越しに姿を見せた校長や先生たちが子供たちに向かって叫ぶ。
「痛っ!」
鈍い音とともに校長の額からゆっくりと鮮血がながれた。
ながれる鮮血を目の当たりにしても、子供たちは誰ひとりその手を止めようとせず、やがてその矛先は駆けつけた保護者へも向けられてゆく。
「みんなやめて! やめなさい! なんでこんなことするの?」
駆けつけて、止めに入った紘子に誰かが言った。
「だって先生、これも多様性でしょ」
(了)