ハリー・ポッターと世界のモッカ
たかがゲームに本気になる。それを馬鹿げていると思う人もいるだろう。それに呆れる人もいるだろう。
だけど遊びに本気になるほどもしかしたら人生は豊かになるのかもしれない。
2019年7月2日、ポケモンGOの活動にマンネリを感じていた私は周りの仲間と同じように自然と魔法同盟を始めた。
もちろんその時点でどこまで続けるのかもどれほど時間を割くのかも何も考えていなかった。
ポケモンGOのデフォルメされた世界観に浸ってきた私には魔法同盟の妙にリアルでどこかダークなゲーム画面は受け入れがたかった。ただ、魔法使いチャレンジとそれに付随する職業システムに興味を持った。強くなる喜びを感じられるからだ。私はRPGのようなこつこつとプレイして自分を強くしていくゲームが好きだった。
そして音楽のクオリティもまた私を没頭させた。ポケモンGOのような古くさい如何にもなゲーム音楽ではなく世界観に入り込めるBGMとリアルに再現されている効果音は聴いていて心地よかった。
とは言えポケモンGOを引退するつもりもなくポケモンGOの片手間に魔法同盟をプレイする日々が始まった。
日本で戦う魔法使い
ハリー・ポッターのことは名前くらいしか知らず内容など全く知らない状態であったためゲームの世界観には正直それほど愛着が沸かなかった。ただただ何かよく分からない物を回収していく日々が続いた。
モチベーションを保てたのは同じタイミングで始めたポケモンGOの仲間に先を行かれたくなかったからだ。私のポケモンGOのスタッツは全国的には「それなりにすごい」程度であったが地域コミュニティにおいては群を抜いていた。その矜持を守るためだけに活動していた。
その仲間はゲームの細かいシステムをあまり理解していなかったにも関わらずものすごいペースで回収数を稼ぎレベルを上げていた。
私はそれに抜かされまいと段々とポケモンGOより魔法同盟をプレイする比率が上がっていった。元々その仲間と夜にポケモンGOのジム活動をしていたのだが、それが次第に魔法使いチャレンジに変わっていった。
プレイを開始して間もなくTwitterで魔法同盟用のアカウントを作った。ポケモンGOで培ったコミュニティとは別に新たなコミュニティを持ちたかったからだ。
Twitterで魔法同盟のプレイヤーと交流していく中で自分のスタッツがどんどん皆を追い越していっていることに気づいた。
1ヶ月が経つ頃には「このままのペースでやっていると自分が誰よりもレベルが高くなってしまうな」と思い始めた。
ここに2つの葛藤があった。自分が一番になって魔法同盟を引っ張っていくべきなのかという思いと、今(Twitterを見る限りで)最もレベルが高い人を私が抜かすことによってその人が魔法同盟をやめてしまわないかという思いだ。
ポケモンGOで私は自分よりはるかにすごいスタッツを保っているプレイヤー達を何人も見てきた。彼らを見て自分には到底追い付けないと思っていた。
それを魔法同盟に置き換えた時に自分がそのような人になれるかと言えばなれないだろうと思った。一時的にはなれるかもしれないが一番になるなら今度は後ろからの追い上げを気にしていかなければいけない。そこまで自分のモチベーションを保ち続ける自信もなかった。
そして誰かに抜かされた時に一気にモチベーションがなくなってしまいそうな気がした。
だから私は誰かに先を行っていてもらった方が正直楽だった。
わざと活動ペースを落とす日々が続いた。それでも差は徐々に縮まっていった。「なんで遠慮しているのだろう」「なんで気を使ってプレイしているのだろう」「なんで思い切りプレイできないのだろう」悶々とした日々が続いた。
そんな日々を過ごす中である情報が目につくようになった。魔法同盟ファンフェスティバルという名の大規模な公式リアルイベントがアメリカで開催されるのだ。
私は魔法同盟を開始して以降ずっと引っかかっていることがあった。
3年間ポケモンGOにどっぷり浸かってきた私はポケモンGOの日本での盛り上がりと日本への優遇を目の当たりにしてきた。ところが魔法同盟はむしろ日本がないがしろにされていると感じていた。日本語公式ツイートも発信が遅く攻略サイト等も自分が知らない情報などほぼ載っていなかった。コミュニティフォーラムも英語のみだった。
ポケモンは元のコンテンツが日本発であるから当たり前と言えば当たり前なのだが、その差にずっと納得がいかなかった。
そんな不満を抱えていた最中にアメリカで公式リアルイベントが行われたのである。
なんで海の向こうであんなに盛り上がってるのにこっちでは盛り上がってないんだ。日本のマーケットをどう思ってるんだ。ポケモンGOのように日本にもっと目を向ければもっと魔法同盟自体が盛り上がるのに。
この現状がとてつもなく悔しかった。
そしてファンフェスティバルを楽しむ海外プレイヤー達の様子を見て悔しさは情熱に変わった。
「そんなに日本をないがしろにするのなら嫌でも日本に目を向けさせてやろう。」「俺が魔法同盟を盛り上げてやろう。」「日本なめるなよ。」
私の悶々とした気持ちは吹き飛んだ。ブレーキなど踏まずにアクセルだけを踏み続けて魔法同盟をプレイしていこうと決めた。
ポケモンGOは引退することに決めた。
9月に入る頃にはTwitter上で知る範囲では私が最もレベルが高くなっていた。もう何も気にならなかった。案の定それまで最もレベルが高かった人は他の位置ゲーに居場所を求めていつしか魔法同盟を引退した。それでも私はただひたすら自分のスタッツを上げていくことしか考えなくなっていた。
とにかくスタッツを上げてそれをツイートして注目を浴びるようにした。フォローしてきた人が魔法同盟のツイートをしていればフォローバックした。魔法同盟関連のツイートにはとにかくいいねを付けた。
そうすれば少なくともツイッター上で自分の元に人が集まってくる。自分を介して魔法同盟プレイヤー同士がつながっていける。そして魔法同盟の輪がどんどん広がっていく。
これが私にできる魔法同盟の盛り上げ方だった。
私が走り始めて間もなくして魔法同盟の盛り上がりを一気に崩しかねない事態が起きた。
ドラゴンクエストウォークがサービス開始されたのだ。
私はドラクエと共に育ってきたと言っても過言ではないくらいどのタイトルもやり込んで来た。当然興味はあった。しかしその興味は魔法同盟への情熱を勝りはしなかった。
しかし私と同様にドラクエで育ってきたほとんどのプレイヤーは魔法同盟よりドラクエが勝った。
Twitterのタイムラインにどんどんドラクエが溢れ出し魔法同盟から離れる人も増えていった。
ドラゴンクエストウォークは日本だけのコンテンツだ。海外プレイヤーには全く影響がない。ただ日本の魔法同盟プレイヤーが減るだけだった。
日本の魔法同盟を盛り上げるには逆風すぎた。
私はドラクエウォークと魔法同盟の活動を掛け持ちすることにした。ドラクエウォークでも人並よりはるかに早いペースでLvを上げていった。その進捗をあえてこまめにツイートした。掛け持ちでプレイしてもドラクエウォークはじゅうぶんに強くなれるし楽しめると魔法同盟から離れていこうとしている人達に伝えたかった。
魔法同盟から人を離したくないという私なりの意地だった。
自分の行動がどれほどの効果があったのかは分からないが、日が経つにつれてみんな落ち着くところに落ち着いていった。私は再び魔法同盟に専念し始めた。
圧倒的なスタッツを積み上げていく日々。いつしか私のことを神と呼ぶ人も出てきた。
ただひたすら痕跡を回収して経験値を稼いで魔法使いチャレンジをして赤本を稼ぐ日々。仕事前と昼休憩と仕事後にひたすらレベリング、21時から22時半までポケモンGOでつながった仲間と魔法使いチャレンジ。名古屋での共闘会があればそれに参加。解散してから24時までひたすらレベリング。次第にルーティーンになっていた。仕事と睡眠以外のほとんどを魔法同盟の活動に注ぎ込んでいた。
肩肘を張りながら魔法同盟にのめり込んでいるとふと虚しくなることもあった。魔法使いチャレンジでの共闘はあるものの基本的にスタッツを積み上げるのは孤独な作業だ。
共闘会などで登録簿や魔法使いチャレンジの進捗等を皆が話していても私は自分からは話に入らなかった。私が話に入ったら私より上がいないため話が終わってしまうからだ。もっと緩くみんなと同じように楽しんだ方がいいのかなと思うこともあった。とは言え自分で作り上げた「モッカ」を崩したくもなかった。
名古屋での対面共闘会に参加していたある時、共闘会によく参加するメンバーの1人がingressで日本一になったことがあるということを知った。世界でもトップ5になったとのことだ。
その話を聞いた時に私はどこか救われた。どこか孤独を感じながら活動していた私の身近にゲームは違えど同じように本気になっている人がいたことが嬉しかった。
そして自分は世界でどのくらいの位置にいるのだろうか気になった。
Twitterで考えうる様々なワードを打ち込み海外プレイヤーでスタッツのすごい人を探し始めた。
10月の下旬にすでにLv60を達成していたプレイヤーがいた。サービス開始が日本より10日ほど早い国もあったし数か月前にリリースされていたベータ版からのプレイヤーかもしれない。しかしそんなことは関係なく私がまだLv60までの半分を過ぎたくらいの頃にすでにLv60を達成しているプレイヤーがいるという事実に驚愕した。
上には上がいる。世界は広い。他にも私よりレベルの高いプレイヤーを2人見つけた。悔しさよりも嬉しさがあった。そして戦うべき相手を見つけたという喜びがあった。
その2人に追いついてみせる。そして「世界に自分の名を知らしめてやる」という壮大な目標を手に入れた。
バルッフィオを500本飲むという実績が遅れがちだった私はその日以降今までの倍のバルッフィオを飲むことにした。もちろんただ飲むだけではない。飲んだら効果が持続する30分間ひたすら痕跡を回収し続ける。
私は自分の活動ペースを考えると年内にLv60達成は厳しいだろうと思っていた。しかし私は活動ペースを上げるにつれて「年内に達成」から「クリスマスまでに達成」と徐々にXデーを早めていった。目標にしていた海外プレイヤーがクリスマスにはLv60になるとツイートしていたからだ。
1日のノルマを50000XPから100000XPそして最終的には150000XPにした。
1つLvを上げるのに必要な経験値は上がっていったが、その度に1日のノルマを増やしていった。長くても1週間以内に1つLvを上げると決めていた。
12月の私の累計XPは加速度的に増えていった。
2019年12月17日、私はLv60を達成した。
Twitterで見つけた2人の海外プレイヤーよりも早く達成した。私の知る限り日本でLv60を達成していたプレイヤーはいなかった。
多くのプレイヤーから称賛された。少なくともTwitter上では日本一になれた。
しかし海外プレイヤーからの反応はほとんどなかった。
もちろん私にとってLv60というのはゴールでも何でもなく実績の1つに過ぎなかった。まだ登録簿も埋まっていないページがいくつもあった。
「登録簿イメージを1000枚登録する」という実績の達成そして登録簿を全て完成させることを目標に私は再び走り始めた。
この先、魔法同盟に大きな変化が訪れることはこの時は知る由もなかった。
世界と戦う魔法使い
ようやく準備が整った。Lv60という最低限1つ大きな実績を作ることで世界中のプレイヤーから目を向けられるための一歩を踏み出した。
ひたすら登録簿を埋める作業と魔法使いチャレンジで赤本を稼ぐ日々。この時すでに私は世界のプレイヤーのことしか意識していなかった。言い方は悪いが日本のプレイヤーにどう見られようとどうでもよかった。世界中のプレイヤーに目を向けさせるためだけに日々活動していた。
「世界に名を知らしめる」私の中で魔法同盟の最大の目標だった。
海外のコミュニティに参加して積極的に発言したり交流を持てば知名度を上げるのは容易だろう。しかしそれでは名を知らしめるのではなく名を知ってもらうにすぎない。私はあえて海外のプレイヤーと自ら交流することを拒んだ。こちらからではなく向こうから気付かせなければ名を知らしめたとは言えないからだ。
私はスタッツを積み上げるだけでなく様々な検証も始めた。元々データを収集してそこから何かを検証するという行為が好きだったのもあるが、そういったことを積極的に行っているプレイヤーがいなかったからだ。
まれにコミュニティフォーラム等に海外プレイヤーの検証報告がなされていたが、はっきり言ってその内容は杜撰なものが多かった。いい加減な検証結果が拡散されて蔓延ることにもどかしさがあった。
「やるならちゃんとやれ!」そういう思いで他の誰にもできない自分くらいの実績及びデータがなければ分からないであろうことを気になったら検証することにした。
検証作業というのは私にとって大きなモチベーションになった。ただただ痕跡を回収する、魔法使いチャレンジをする、といった行為もサンプル数を稼ぐという意識があれば単調な作業でも楽しかった。
年が明けて徐々に世界中に不穏な雰囲気が漂ってきた。新型コロナウイルスである。
ソーシャルディスタンス、不要不急の外出の自粛、ロックダウン、緊急事態宣言、位置情報ゲームの根本を破壊する脅威だった。
私はどう活動していけばいいのか悩んだ。車での活動が大きくなった。救いだったのがこの時の私の活動のメインは魔法使いチャレンジの登録簿を埋めることであった。魔法使いチャレンジなら車の中で1人でできた。
何とかペースを落とさぬよう感染対策を試行錯誤しながら活動を続けた。
新型コロナウイルスは猛威を振るうばかりだった。魔法同盟も対策としてポートキー解錠に必要な距離が半分になったりフィールドに呪文エネルギーが落ちるようになったりといわゆるコロナ仕様に変更された。
年明けに予告された第2回魔法同盟ファンフェスティバルの開催予定も白紙になった。
コロナ禍で活動しにくい状況になっても私はひたすら登録簿を埋める作業を続けた。
そして登録簿イメージを1000枚登録してその時点で達成できる実績を全て達成した。
その頃にある人からリモート砦実装に向けてDiscordサーバーの準備をしているから参加してほしいという誘いがあった。
Discordに参加して間もなく予告通りリモート砦が実装された。これまで共闘とは無縁だったプレイヤーにとって大きな改革だった。これまで決して共闘することのなかったフレンドやフォロワーと共闘できるのは新鮮で楽しかった。
共闘時の動き方などがツイッターで色々と議論された。Twitter上ではこれまでにないくらいの盛り上がりを見せた。
私もさっそくボイスチャットによる共闘に参加した。Twitterでしか交流がなかったプレイヤー達の声を聞きながら共闘するのはより楽しかった。
それと同時にボイスチャット共闘に一種の脅威を感じた。
呪文エネルギーさえあれば対面共闘と同じペースで赤本が稼げるからだ。ここに参加するのとしないのとでは赤本の獲得数が全然違ってくる。
私は参加せざるを得なかった。誰かに赤本の数を抜かれるのを恐れたからだ。
ボイスチャットを楽しむというよりはむしろ赤本を稼ぐために毎晩のように参加し続けた。名古屋ではどの地域よりも多く共闘会を開催していたこともあり共闘スキルは心得ていたため参加者をリードしていった。
職業レッスンに必要な赤本数などとっくに稼げていつしか赤本の数を1000冊、2000冊と目標にするようになった。ボイスチャット共闘を始めておそらく世界でも圧倒的に赤本を稼いでいた。
ボイスチャット共闘を利用して同じ職業だけのチームでどれだけ難しい部屋を勝利できるか、5人チームで闇の部屋Ⅴを魔法薬を使わずにどれだけ早く勝利できるか、など様々な非公式企画が開催された。そのいずれでも私が参加していたチームが最高記録を出した。
私はスタッツだけでなく魔法同盟の全てにおいて他を圧倒したかった。この結果は私がただスタッツがすごいだけではなく共闘スキルも高いことを示す1つの実績となった。
リモート砦が実装されプレイ環境が変わり始めて間もなく魔法同盟内でさらに大きな変化が起きた。登録簿のシステムが大幅に変更されたのだ。
私は愕然とした。それまで登録簿を埋めることを目標として痕跡回収と魔法使いチャレンジに勤しんで1つ1つコツコツと埋めていたのが、ある日突然全ての登録簿が埋まったのだ。リモート砦が実装され金枠コンプリートまで3300個のかけらが必要なダンブルドア軍団の杖を全種集めるための戦いが始まった矢先のことだった。
愕然としたのは私だけではなかった。登録簿のコンプリートを目指して活動してきた世界中のプレイヤーが愕然とし激怒した。中には「魔法同盟は幼児向けのゲームになってしまった」と揶揄する者もいた。まったく同感だった。
ゲームバランスを緩くすることで魔法同盟が盛り上がるとは到底思えなかった。魔法同盟を支えてきたのは私を含む熱心にやり込んで来たプレイヤー達だという自負があった。
その者たちの多くがこの改変を機に魔法同盟から離れていった。私が一目置いていたプレイヤー達はいなくなった。気は付けば自分と同程度のスタッツを持つプレイヤーは見当たらなくなった。
この先魔法同盟は先細りしていくだろうと私は感じた。
それでも私はこれまで積み上げてきたものを崩したくないという思いと「世界に名を知らしめる」という目標を達成するために痕跡回収や共闘を続けた。もはや目標とするのは数字を伸ばすことだけだった。
登録簿の改変からしばらくしてSOS訓練というものが実装されたものの1ヶ月で全訓練に必要なアイテム数は禁書以外全て稼いでしまい結局数字を伸ばすためだけのものになった。
ただ毎日ひたすら痕跡を回収して魔法使いチャレンジで共闘する日々。その都度数字の目標を掲げてモチベーションを保っていたもののマンネリ感は避けられなかった。マンネリを感じていたのは周りのプレイヤーも同じだった。
私はマンネリを打破するためにあることを思いついた。9月にドラゴンイベントが開催された。これまで日本では出現したことがなかった2種のドラゴンが出現しドラゴンの卵も4種類ポートキーから入手できるという、風変わりⅣの登録簿を初めて金枠まで終わらせられるイベントだった。
登録簿コンプリートまでに必要なポートキー173個を銀の鍵を惜しげもなく使って最速のペースで終わらせるのが皆が思い描く私のプレイスタイルだった。あえてそれを銀の鍵を1つも使わず173㎞の距離を期間内に稼いで終わらせることにした。
ただ誰よりも課金しているからすごいのではない。ただ誰よりも魔法同盟に対して本気なだけだということを知らしめたかった。
私にとって課金とはスタッツを上げる手段ではなく運営への寄付という感覚でしかなかった。
フィールドガイド100000冊を達成した時にある1人の海外プレイヤーからTwitterでフォローされた。
彼の存在は以前から知っていた。海外のコミュニティではそれなりに名の知れたプレイヤーだった。
私は海外で有名なプレイヤーを何人か知っていたが、そのほとんどは運営から事前に情報を得て公開できる立場のプレイヤーだった。私はその人達に興味がなかった。イベントのタスクを事前に公開することがイベントを作業化し魔法同盟をつまらなくしていると思っていたからだ。もちろんそれを望んでいるプレイヤー達が大勢いるからやっていたのだろうけど少なくとも私にとっては必要のない情報であり楽しみを奪う存在であった。
何より彼らは情報告知には熱心だが魔法同盟のプレイ自体にはそこまで熱心ではないと私は感じていた。私にとってはあくまでどれだけ魔法同盟をやり込んでいるかが「すごい」の尺度だった。
しかし彼はそんな有名プレイヤー達とは一味違っていた。私ほどではないが目標を持って魔法同盟をプレイしてスタッツを積み上げていた。そして実際のプレイでデータを取って検証したり効率的なプレイをまとめていたりと私と似ている部分もあった。
ただ情報告知だけで名を馳せているプレイヤーではなく彼のようなすごいプレイヤーに目を付けられたのが嬉しかった。もちろん私は彼をフォローバックした。その時点で彼がフォローしていた日本のプレイヤーは私だけだった。
それから彼とはTwitterでレスを付けたり時にはDMをするようになった。
ようやく世界が日本に目を向け始めた。
彼とつながったことで私の「世界に名を知らしめる」という目標は大きく前進していくこととなった。
世界で戦う魔法使い
あとになって知ったことだが彼が私をフォローするもっと前から世界中の魔法同盟プレイヤーが参加しているグローバルのDiscordサーバーで彼ともう1人の著名なプレイヤーが「モッカが最もファウンダブルを回収している」という旨の会話をしていた。
私の知らないところで私の目標は進み始めていた。
その後も彼は親しくなるについて様々な場面で私の名前を出すようになった。私の存在は徐々に海外プレイヤー達に認知されていった。
これまで以上に手を抜けなくなった。名前が広まることで私よりもスタッツの高いプレイヤーが現れればすなわちそれは私が敗北者として世界から認識されることになる。しかしその状況は私にプレッシャーよりも自信を与えた。私の名前が出るということ、すなわちそれは私以上のスタッツを持つ者がいないという事実でもあったからだ。私は世界一を目指すことにより貪欲になった。
しかしその状況に反比例するかのように私の活動ペースは落ちていった。相変わらず数字だけを追い求める日々だった。大台を達成した数字も増えていき目標が立てづらくなっていた。
周りのプレイヤーもSOS訓練を一通り進め終わりつつあった。マンネリな日々が続いた。
魔法同盟が下火になっていることを感じずにはいられない雰囲気だった。
私は何か新しい要素が近いうちに来るだろうと期待しつつ、これまで私自身がしてこなかったことをして魔法同盟を盛り上げようと思った。
若干落ち着きを見せるもまだまだ予断を許さないコロナ禍ではあったがボイチャ仲間が転勤になることを機に対面共闘会を主催した。リモート砦で盛り上がりを見せた魔法同盟であったが、やはり魔法同盟において最も楽しく盛り上がるのは対面共闘だという思いがあったからだ。
コロナ禍にならずリモート砦が実装されなければ私は対面共闘会で全国行脚をしたいという思いがあった。そのくらい自分にとっては刺激になるリアルイベントだった。
わずかではあったがその後も各地で対面共闘が企画された。ボイスチャット共闘でしか接したことがなかったプレイヤー同士が対面して少なからず魔法同盟は盛り上がりを見せた。
対面共闘やAR撮影など普段の活動とは違った活動によってマンネリを打破しながら数字的な目標に取り組んでいた最中、ついに敵対者の出現が告知された。
待ってましたと言わんばかりに多くのプレイヤーが期待に胸を膨らませた。私は期待と同時に武者震いがした。見据えるものがある、それだけで私はどこまでも本気になれた。
敵対者いわゆるボスの出現はとても魅力的だった。ずっと待ちわびていた追加レッスンと定期イベントでわずかしか入手できなかったDADAが自分の裁量で入手できる。世界に名を知らしめるには打ってつけの新要素だった。
一気に10ページの登録簿を埋めていかなければいけなかった。誰よりも早く進めるには常にEDMを使用しつつとにかくひたすらに走り回らないといけなかった。魔法薬の使用もこれまでにないペースでの使用を強いられた。課金額も跳ね上がった。時間のゆとりもなかった。それでもただただ楽しかった。1年で最も寒いであろう季節だったが寒さなど気にもならなかった。
「誰よりも早く登録簿を埋めてみせる」その一念のみで私はひたすらボスを狩る為に走り続けた。
ボスの出現からしばらくしてTwitterで私をフォローしてくれた彼から「恐れられしボスのアーティファクトのドロップ率を調べたいから協力してくれないか?」と提案された。私はもちろん快諾した。
彼は自分の個人サーバー等でプレイヤーに呼びかけて大量のデータを集めてそこから確率を導き出す検証をよくしていた。私は自分のデータしか信じない為そういった手法はとってこなかったが、自分が納得できる量のデータを1人で集めてその結果をそのまま彼に提供することにした。
登録簿を埋めるという目的だけでなく検証のためのデータ収集という目的が加わり私はそれまで以上のペースでボスを狩り続けた。
最終的にボス500連鎖分のデータを彼に提供し約2カ月で全ての恐れられしボスの登録簿を埋めた。我ながら面目躍如だった。
気が付けば海外プレイヤーのフォロワーもかなり増えていた。この頃から自分のTwitterの意識が変わった。海外プレイヤーの目を意識し始めた。
ささいなことをツイートしなくなりフォロワーへのコメントもあまりしなくなった。検証結果やスタッツに関するツイートも海外の人が見ても分かるように心がけた。
あえて「世界のモッカ」という意識を持って活動をし始めた。
恐れられしボスが終わってからはまたいつもの数字だけを追い続ける日々だった。
新要素が実装されればそれを最速で終わらせる。そしてマンネリを感じながら数字だけを追う日々を送る。もはやそこまでがルーティーンだった。
時折新しい登録簿やデータなどがリークされボイスチャットで話題になるもおそらくすぐには実装されないだろうとどこか冷めている自分がいた。これまで魔法同盟が何か大きな要素を実装してきたのは半年に1回のペースだったからだ。
何かを成し遂げたら「あぁ、また半年間は数字を追いかける日々になるのか」と一種の虚無感が襲ってくることが分かってはいても、世界に名を知らしめるためには走り続けるしかなかった。
短期イベントであろうととにかく何かしらの目標を掲げて取り組んだ。何でもいいから実績が欲しかった。世界に向けてツイートするネタが欲しかった。
実績のためにもがく日々が予想通り半年間に達する頃、ようやく1920年代のポートキーというこれまでにない新しいタイプのイベントが告知された。
イベント内容は至ってシンプルなものだった。痕跡を回収して登録簿を埋める作業をポートキーを開けた時にしかできない。たったそれだけのことだが、それをいち早く終わらせるためには大量の銀の鍵と移動距離が必要だった。普通にプレイしていれば登録簿を埋めるのに1年以上は費やすであろうイベントだった。
壁が高いほど私はワクワクした。ずっと待ち望んでいた「簡単に終らせることができないイベント」だった。
かつてこれほどまでに課金するか否かで進捗に差が出るイベントは実施されなかった。私は運営にとって収益を得るための起死回生のイベントなんだろうと思った。ならばそれに全力で応えてやろうと思った。
わずか3日間しかも平日のイベントだった。しかしもはや私にはすべてが言い訳にしかならなかった。かつてないほど気を引き締めて与えられた環境で世界一の成果を出すことに集中した。
蓋を開ければ想像以上に壁は高かった。報酬からドロップするかけらの確率が想定よりもはるかに低かった。それでも中途半端な結果で終わりたくはなかった。とにかくひたすらポートキーを拾って開けるために自転車で走り続けた。睡眠時間ですら邪魔だった。イベントが終わったら倒れてもいいと思った。イベント終了時間まで登録簿コンプリートを目指してひたすら走り続けた。
結果は3日間でポートキーを1101個開けた。毎日50kmほどの移動距離を稼いだ。それでも登録簿は3ページ中1ページしか埋めることはできなかった。
世界で最も登録簿を埋めたのは間違いなかったが私の中ではとても勝利とは呼べない結果だった。
イベントの結果をツイートした2日後に予想だにしないことが起きた。
本国の公式アカウントが私のツイートを引用リツイートで称えたのだ。
公式アカウントがプレイヤーの実績を称えたのはこのツイートが最初で最後だった。
戦いには勝てなかったが私は認められた。
おそらくこのイベントのずっと前から私は世界トップのスタッツを保っていたと思う。それを認める声もいくつか見聞きした。それでも私はどこか釈然としていなかった。事実としてそれは分かってはいるものの実感がなかった。
それがようやく1つの形として示された。あぁ、自分はようやく世界の頂点に立てたのだとこの時初めて心から思えた。
公式のツイートと時を同じくしてある海外プレイヤーからDMが来た。
「あなたはDiscordで有名人だ」との文言とともにグローバルのDiscordサーバーの招待リンクが貼られていた。
そのサーバーの存在は初期の頃から知ってはいたが、やはりあえて自分からは参加しなかった。
ここまでやって来てさすがに参加しないわけにはいかないなと思い遅まきながら参加した。
そこにはいくつか私の名前やツイート画像が掲載されていた。私の知らないところで私のことが話題になっていた。私のスタッツが紹介されていた。私のデータが当てにされていた。
何とも言えない爽快感があった。そして心の中でずっと燃えたぎっていたものがふっと消えたような気がした。
私は魔法同盟で世界に名を知らしめることができたのだと確信した。
魔法同盟における最大の目標を達成した。しかしこれからも今までのように活動していかなければいけなかった。海外プレイヤーが注目する「世界のモッカ」として体裁を保ち続けていくことがこれからの私の任務となった。
まずは結果として不完全燃焼で終わった1920年代の登録簿を翌月のイベントで終わらせようと思った。
ここで海外プレイヤー達の間で大きな動きがあった。Adventure Syncいわゆる「いつでも冒険モード」がAndroid端末で機能しないバグを運営がいつまでも修正しないことに業を煮やしたプレイヤー達が1920年代イベントのボイコットを呼びかけ始めたのだ。
私はこの動きをとてもバカげていると思った。なぜなら1920年代イベントは一度延期されていたからだ。7月末に予定していたのが8月後半に延期になった。運営はこの時に上記のバグの修正をすでに試みていた。しかし修正できなかった。私の中ではそれが全てだった。
そこに割ける時間と予算がなかったのだろう。だからバグを修正できずとも起死回生の策としてイベントを実施して予算を得ようとしたのだろう。
だからこそ私はこれまでにないくらいの額を課金してイベントに取り組んだのだ。
もちろん実情は分からなかったが私はそういう考えだった。なのでイベントをボイコットするという行為は運営の首を絞めるだけで何かを生み出すとは到底思えなかった。
そしてこの時私は魔法同盟は近いうちにサービス終了するかもしれないと思った。
冗談やネタでサービス終了を口にすることはそれまでもあったが、本気でサービス終了を感じたのはこの時が初めてだった。
ボイコット運動という行為が起死回生の策を打って出た運営に対してトドメを刺したかのように私には映ったからだ。
結局翌々月になってしまったが1920年代の登録簿を全て埋めた。再び目指すものがなくなった。もはや何回目になるのか分からない数字だけを追い続ける期間。
私はこれからどうしていくのだろう。いつまで世界のモッカで居続けるのだろう。そんなことを漫然と考えていた。
最大の目標に対する達成感は私の行先を奪っていた。
数字を追い続けていてもどことなく義務感が生じてこれまでのようなやり甲斐は感じなかった。ボイスチャット共闘も内輪的なノリが強くなりかつてのような楽しさはなかった。魔法同盟に時間を捧げたことで疎遠になっていた趣味を再開したいと思うようになった。他にじっくり腰を据えてプレイできるゲームを探すようになった。
このような感覚を私はこれまでに何回か味わってきた。それは熱中していたゲームに対して潮時かなと思い始めた時に味わう感覚だった。
このような感覚を抱き始めていたとある深夜のことだった。
魔法同盟のサービス終了が発表された。
まるで私の意を汲み取るかのようなタイミングだった。「あぁ、来るべき時が来たんだな。」と私は冷静にその事実を受け止めた。
「サービス終了までどんな感じでイベントを展開していくのだろう」「あと3ヶ月で自由になるのか」「終わったら何しようか」「朝起きたらみんな騒いでいるだろうな」などと色々な思いがぼんやりと浮かんでいた。
悲しみにくれたプレイヤー達の声が様々な場所で見られた。これまでのこと、これからのことを皆が思い巡らせていた。
サービス終了発表の余波はいつまでも続いた。
「何とかして続けてくれ」「ウソだと言ってくれ」「2月から新しい魔法同盟が始まるんでしょ」「こんな楽しいゲームを終わらせないで」「なんで終わるの」色んな声が見られた。中にはサービスを継続させようと署名運動する者もいた。
私はこの状況に正直もどかしさを感じた。そして怒りを覚えた。
「なんでこうなったと思ってるんだ」「今さら何を言ってるんだ」「文句や要望を押し付けて運営を苦しめ続けたのは我々プレイヤーだろ」「運営に対してできる限りのことしてきた上で言ってるのか」このような思いが胸にたぎっていた。Twitterを見るのも嫌になった。
原因があるから結果がある。プレイヤーにとっては娯楽でも運営にとってはビジネスだった。課金しなくても楽しめるゲームを作るのは容易いが課金しなくても続けていけるゲームを作るのは困難だった。ただそれだけのことだ。
好きや楽しいといった気持ちだけでは何事も続いていかないのだ。
私は悔しかった。「あの時声を大にしてボイコットを止めていたなら」「もっと自分のようなプレイヤーを作り出すことができたなら」「課金しなければサービス終了するぞともっと叫んでいたなら」やり切れない様々な思いが頭を巡った。自分1人で魔法同盟を背負っていたわけではないことは当然分かっていた。それでもこうなる前にもしかしたら何かできたことがあったんじゃないかという思いが胸を叩いた。
だけど結局そうしなかったのは私自身の心の片隅に魔法同盟の戦いに終止符を打ってもいいとの思いがあったからだというのもまた事実だった。
残された期間は3ヶ月となった。サービス終了発表時に告知された新しいイベントは死に至るボスと分霊箱。
私はこの2つのイベントをかつてないほど本気で取り組んで世界中のプレイヤーを圧倒して最後の最後まで「世界のモッカ」そして「魔法同盟の神」として君臨し続けようと決意した。
そして1人でも多くのプレイヤーに後悔させないよう自分ができ得る限りのことをやって1月31日を迎えようと心に誓った。
ハリー・ポッターと世界のモッカ
たかがゲームに本気になる。それを馬鹿げていると思う人もいるだろう。それに呆れる人もいるだろう。
人は年齢を重ねるごとに段々と本気にならなくなる。仕事では手の抜きどころを覚えて恋愛では引き際をわきまえる。良くも悪くも色々なことに達観的になっていく。そして本気にならない日々が漫然と過ぎていく。
しかし何かに本気になっていれば日々を振り返った時に充実感がある。それがたかがゲームであったとしても。
私のここ2年半はほぼ生活と共に魔法同盟があった。常に魔法同盟で何かの目標を見据えていた。そしてそれを達成させようと躍起になっていた。
魔法同盟のサービス終了が発表された時、私はすんなりとその事実を受け入れた。肩の力が抜けて開放感とも安堵感とも違う何とも言えない心地良さすら感じた。
終わってほしかったわけではない。かと言って続いてほしかったとも言い切れない。
この不思議な感情はきっと私が「やり切った」と自信を持って言える日々を過ごしてきたから沸いてきたのだろう。
たかがゲーム、たかが遊びに本気になれる人ほど人生は豊かになるのだと私はこの2年半で身に染みて感じたのだ。
ついにゲーム内では実装されなかった死に至るボスの1人であるベラトリックスのイベントストーリーの中でコンスタンスのこんなセリフがあった。
「機密保持法特別部隊のメンバーはハリー・ポッターになりたがっている」
このセリフを見た時に私は思わず笑みをこぼした。
なるほど、私はハリー・ポッターになりたかったのだ。
今、私の部屋にはハリー・ポッターのグッズとアパレルがいくつもある。私の頭にはハリー・ポッターを介して作った数えきれない思い出がある。私の心にはハリー・ポッターに対するこれまでの感謝とこれからの期待がある。
ハリー・ポッターをほとんど知らなかった男は魔法同盟に本気になることでいつしかハリー・ポッターになりたがっていた。
そしてハリーポッターになれた。
英雄と呼ばれるような存在では決してないけれど魔法同盟の中で私は確かにハリー・ポッターだった。
魔法同盟はあと1ヶ月ちょっとで終了する。そして月日が経つに連れて人々の記憶からも徐々に消えていくだろう。
「そんなゲームあったっけ」「なんか名前忘れたけど昔ハリポタの位置ゲーあったよね」こんなセリフが人々から発せられる日が来るだろう。
だけどこの先いつかどこかで魔法同盟とはどんなゲームだったのかと問われた時、私は迷いもなくこう答えるだろう。
「俺が2年間本気でプレイして世界を獲った最高のゲームだよ!」
サービス終了まで1人でも多くの魔法使いが悔いなく少しでも多くの楽しい思い出を作れることを聖夜に願って。
魔法同盟 Advent Calendar 2021 12/24