
【読書日記】2021年10月5日
お腹が痛くて薬を飲む。月に一度のこととはいえ、いつまでたっても慣れない痛み、そしてしんどさ。女に生まれたからには踏ん張るしかないのだけど、いやそれにしてもしんどいよね、と危うく息子に愚痴をこぼしかける。息子は一生この痛みに縁がないのだから、言ったところで理解は得られないというのに。
『妻を帽子とまちがえた男』を相変わらず読んでいるのだけど、色んな症例があって、脳の働きって本当に様々なんだな、そして損傷してしまったら治すことは難しいんだな、新たな自分を受け入れていくしかないんだな、と何度も思わされた。
夫にこういう本を読んでいるんだけどさ、と説明したら「なんでそんなの読むの?」と怪訝な顔をされた。
脳が損傷を起こしたら、私たちの機能がどのように変化していくのか、分からないから知りたいと思って本を読んでいるのだけど、夫からしてみたらそれを知ってどうするの?といった思いになるらしい。
例えそういった症例を知ったところで、私は専門家にはなれないし、障害を持つ人の気持ちが理解できるわけでもない。障害を抱えて困ったことが発生しても、専門知識のある人に助けを求めるしかないのだから、自分が知識をたくわえたところで何になるというのか。
確かにその通り。でも本を読むことは止められないんだよなあ、私の中の何かが突き動かされている感じ。これが何なのか自分でもよく分からない。単なる興味本位なのだろうか。
と、ここまで考えて、
「本を読むのに理由などない!」
と気づいた。全くその通り。理由付けなどしている暇があるなら、一冊でも本を読もう、そうしよう。