“The Backrooms”は2020年代の“ZONE”になった
インターネット・カルチャーにおいて近年存在感を放っているThe Backroomsは、孤独感・未知への恐怖、そしてノスタルジアを根幹とするシェアード・ワールド※ものジャンルだ。
学校で、職場で、自宅で……誰もいないがらんどうの部屋や通路を目にして「うら寂しいやら、恐ろしいやら」の奇妙な感覚に襲われたことはないだろうか?あるいは、昔遊んでいたゲームのオンラインに参加して誰もいないマップに胸が虚ろになるような経験をしたことは?もしあるならば、その感覚を与えてくれるのがThe Backroomsだ。
Liminal Spaceのこと
Liminal Spaceってなによ
The Backroomsは「Liminal Space」というネット美学から派生したコンテンツで、本稿のサムネイルのような画像が「Liminal的」とされる。簡素な構造で、人の気配や利用の痕跡がなく、いうなれば「死んだような建物」がそうであるということだ。以前人に紹介するためのスライドを作成したことがあるので、本稿ではこれをもってLiminal Spaceの簡単な説明とする。
やや話題は逸れるが、山田五郎氏は自身のYouTubeチャンネルでハンマースホイの絵画を紹介したさい「人の不在が怖いのではなく、『いそう』なのが怖い」と表現していた。これはもっともな指摘で、ドアの影、カーテンの向こうに何かいるかも、という危険予知の感情がこれらの絵画・写真の魅力であることは言うまでもない。
建物なのに利用の痕跡がない、作られた目的を果たせていない。不能な人工物に感じるノスタルジア、不安、あるいは平穏といった感情を取り扱うのがLiminal Spaceというコンテンツである。これはシティ・ポップに代表される昭和レトロの流行とも切り離せない「アネモイア」的ムーブメントといえるだろう。
アネモイア─知らない懐かしさ─
アネモイア(anemoia)はJohn Koenig氏のプロジェクト「The Dictionary of Obscure Sorrows」において創作された単語で、「経験したことのない場所・時代へのノスタルジー」と定義される。先述した昭和レトロの流行がそうであるように、自身が生まれる以前の時代にノスタルジーを抱く若者は多く、そうしたアネモイア的ムーブメントの素地がThe Backroomsの流行に寄与したことは間違いない。
The Backrooms(およびLiminal Space)を扱ったコンテンツの中でもアネモイア感情をフィーチャーしたものは多々あり、80'sの懐メロやエレベーター・ミュージックなど、ともすれば「古くてダサい」と唾棄されがちな音楽がムードを盛り上げるために使用されることも多い。これはアネモイアを想起させる事物が「古くてダサい」ことの証左であり、同時に「古ダサ」が一種の魅力として扱われているということでもある。Vaporwave、Retrowave、あるいはサイバーパンクなどに代表される「ネオンカラーの過剰な装飾」が評価されていることとも無関係ではない。令和を生きるヤングからすれば昭和は「ファンタジー」なのだ。
例として下記の画像を挙げるが、どうだろうか。室内なのに屋外のように設計された中庭、不気味なまでにディープ・ブルーの照明などなど。バブリーな感じの装いだが、どこか懐かしさのようなものが感じられないだろうか?子供のころ家族で泊まったあのホテル、文化祭の準備で遅くまで残った校舎の廊下に教室から光が差している、そういう感じの情景だ。
The Backroomsの発生と膨張(暴走)
中興の祖・Kane Pixels
前置きが長くなったが、ここからはThe Backroomsの話題を扱いたい。本題だし。The Backroomsは記事冒頭に引用した投稿を発端として発生した作品群で、「ノスタルジー・孤独モキュメンタリーホラー」とでもいうべき代物だ。日常生活から「壁抜けバグ」で異世界に落下してしまった主人公が、孤独に、飢えに、変なモンスターに苦しめられる。中でもThe Backroomsの知名度を確立させたのがKane Pixels氏による『The Backrooms (Found Footage)』で、ハンディカムで個人製作映画を撮影していた主人公がコンクリートの地面をすり抜けて黄色一色の空間に閉じ込められる、という筋書き。日常に訪れる理由のない恐怖、知っているようで知らない無限大の人工空間に幽閉されるという理不尽さは多くの人の共感(と恐怖)を呼び、一躍The Backroomsといえばこの作品となった。
で、「個人の遺した映像記録」という作品が多かったThe Backroomsものだが、「The Backroomsを探索する組織」が登場する作品も現れた。黄色いビニールの防護服に身を包んだ研究者がThe Backroomsを探索する。お約束としてクリーチャーに襲われたり穴に落ちたりして孤立し、だいたい行方不明になりカメラだけが見つかる。先述したKane氏もこのような「組織タイプ」の動画を投稿しはじめた。「Asyncという企業が実験的に作成したのがThe Backroomsという異次元である」という設定が採用されており、実験でThe Backroomsが発生する瞬間、内部で発見された死体の解剖などさまざまなアプローチで世界観の拡張を試みていることがわかる。
Wiki南北朝時代
The Backroomsのコンテンツが有名になるにつれて創作を行うユーザーも増加し、彼らは次第に集合して共有の創作スペースを設けるに至った。2019年6月にFandom版The Backrooms Wikiが設立され、多くの編集者が記事を投稿しはじめた。Fandomにおける設定では、M.E.G.(Major Explorer Group)という団体がThe Backrooms内で結成され、遭難者たちの政府のような扱いを受けている。
…そう、Fandomカノンにおいて、あなたは孤独ではない。M.E.G.には10万人を超える人員が所属しているし、The Backrooms全体でいけばもっと生存しているだろう。アーモンド風味のエリクサーのようなアイテムもあるし、そのアーモンド水を捌く会社も存在する。
続く2020年3月にはWikidot版The Backrooms Wikiが誕生した。M.E.G.やアーモンドウォーターなど共通する設定も多いが、執筆するメンバーが異なるため当然その内容は大きく異なる。
こうなると混乱するのは読者の側で、「アレどっちで読んだっけ?」となることもしばしば。「DCとマーベルで同時にスーパーマンが展開されていて、しかも両方の固有名詞だけ共通」みたいな状態である。作品に対する姿勢や運営の方向性が違うから仕方ないことではあるが。
ホラーちゃうんかい
The Backroomsの焦点が「未知の空間に取り残される」から「謎の場所を探検する」に変化すると、当然作品のノリも変化した。エンティティ(モンスター)は対処可能な存在になったし、人間グループの探索を手伝う異能者やエンティティ自身も登場した。エンティティ同士の戦争、干渉する人間勢力、The Backroomsのどこかにあるという幻の出口……出口!?
もはやこうなってくると「異次元で遭難」とかそういう次元ではなく、冒険とか呼称したほうが正確である。これは好き嫌いの問題なので個人の自由になるが、「ええ~」と思う人がいるのも首肯できる話だ。
Zoneのこと
Zoneってなにさ
Zone(ゾーン)とは、ストルガツキー兄弟の小説『路傍のピクニック』、および翻案作品であるゲーム『S.T.A.L.K.E.R.』に登場する超常的な空間である。内部では既存の法則を揺るがすような奇妙な現象の数々が発生しており、科学や利益のために多くの人物が侵入を試みる。その深淵には願いを叶えるオブジェクトが存在するとされ、あらゆる欲望を形にしてくれるという…
『路傍のピクニック』においてゾーンは「異星人が訪れた痕跡」となっているが、その実態は人類側からは一切不明である。「地球を実験施設として利用した」のか、あるいは「ただやってきて散らかしていっただけ」なのか、それすらも人間には推測できない…というのが主要なテーマのひとつだ。
魔法のアイテム集め
『路傍のピクニック』『S.T.A.L.K.E.R.』両方の作品に登場するのがアーティファクト(既存の理論で説明・再現できない物品)の概念だ。これらを収集したり、ゾーンの侵入者を手引きする者は「ストーカー」と呼ばれ、作品群において特徴的に扱われる。放射線を防ぐ物体・出血を迅速に停止させる物体などが登場し、科学者のNPCが買い取ってくれることからも貴重さがうかがえる。(ゲーム的には装備品にすぎないが)アーティファクトをはじめとしたゾーンの事物を外界に持ち出すか否かの対立も存在し、それぞれの勢力が「我々が最もゾーンを制御できる」と信じている。一方のThe Backroomsにもアーモンドウォーターやレベルキーといったオブジェクトが存在するが、こういった「魔法のアイテム」は冒険心を刺激する。
The BackroomsはZoneである─現代的異世界─
「現代的異世界」という概念
The Backroomsとゾーンの二者を同時に扱うにあたって、ここでは「現代的異世界」ということばを提唱したい。現代的異世界とは、「現代の地球と変わらないビジュアル・文化を持ちつつも、まったく異なる法則や性質によって駆動する空間」である。The Backroomsはどこかの建物のように見えるが、その内部は狂ったように広く、飢えや孤独以外にも有害な環境やモンスターが探索者を苦しめる。それはゾーンでも同じことで、サプライチェーンなど存在しない廃墟の中でストーカーや研究者たちは命や大金と引き換えにゾーンの恩恵を手にしている。
ここで重要なのが「日常の延長線上の空間で非日常の体験をする」というポイントで、ゾーンやThe Backroomsは人工物の形をとっているものの完全に現実を寄せ付けないというのが重要だ。これはThe Backroomsがアネモイアの隆盛とともに発展したコンテンツという事実とも不可分で、「未知の事物に対する存在しない懐かしさ」という現実に立脚しない感情そのものが日常の中の非日常であるといえる。
バーチャルな郷愁─ビデオゲームの場合─
少し話は逸れるが、ここでビデオゲームに対するノスタルジーも扱っておきたい。ビデオゲームといってもファミコンやPS1ほどに古いものではなく、ミレニアル世代が学校から帰ってきてPS3やXbox360でプレイしていたような、『Halo』や『Half-Life』といった作品を指す。宿題もそこそこにコントローラーを握り、毎夜友人とプレイしていたあのPvPモードも、今となっては誰も接続していない。「空っぽになった入れ物」「人のいなくなった場所」という解釈においてはThe BackroomsやLiminal Spaceに近く、そうした空間に対する懐かしさ・不安といった感情はまさに2000年代以降のカルチャーなのではなかろうか。
結局、何が言いたいのよ
長々と取り留めもなく述べてしまったが、畢竟The Backroomsとは「異世界転生」なのだと思う。見知らぬ都市に行くと郷愁と好奇心が増していくように、The Backroomsは体験したことのない過去へのノスタルジーと「知っているような場所だが未知と狂気に満ちている」という冒険心がメインのコンテンツに変化した。トラックに轢かれる代わりにnoclipを起こし、ダンジョンの代わりに無限の室内があり、そこには魔物や人間模様がある。それは「現代的異世界」と呼ぶにふさわしいもので、『ストーカー』のゾーンに通底する概念であるように思う。ファンタジーはあくまでファンタジー、心の底では「おとぎ話だろう」と冷めた目で見てしまう。ところがその舞台が現実世界と地続きの異次元となると「もしかしたら存在するかも」という不安が付きまとう。そうした足元の浮つくような気持ちがThe Backroomsのエッセンスであり、また「現代異世界ホラー」の中核である。
The Backroomsはシェアード・ワールドものである以上、流行りのスタイルに沿って作品群のムードが決まっていく。Liminal Spaceの空気感、Kane Pixelsのホラー性を超越してコミュニティは新しい地平に到達し、さらにまだ見ぬ領域へと発展していくだろう。なにかしらが変化するにあたって、反対意見や離反者はつきものである。ラヴクラフトの作品が設定整理を経てクトゥルフ神話に変化した事についても、旗手であるダーレスを批判する意見はある。しかし文化の世界において対立と分裂は新ジャンルを生み出す契機ともなりうることは、これまでの歴史が証明している。ホラーとしてのThe Backroomsを探求する層とアドベンチャーとして求める層、ふたつのコミュニティがそれぞれの道を歩みつつも、お互いに影響を与えながら発展していくことを願って本稿の結びとする。
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