10兆円ファンドに死角はないか?
○初めに
2020年10月1日に政府が10兆円規模のファンドを創設し、その運用益を大学の運営資金や若手研究者の待遇改善に充てる構想を来年度の概算要求にもりこむことが報道されました。
これは政府が10兆円を拠出し市場で運用することによって、仮に市場平均である年利3~4%程度のパフォーマンスが出せれば数千億円単位の資金が捻出できることから、これを原資として研究への資本投下を加速させる狙いだと考えられます。実際にもしこのシステムが支障なく稼働すれば、国税を使わずに科学技術の振興が可能になるため、国民にとっても負担なくその恩恵が受けられるのみならず、研究者側にとっても学問の自由を一段と保証するものになるかもしれないというメリットがあります。ただ私としては一定程度の評価をしたい一方で、大きな死角が存在すると考えています。それを本記事では取り上げます。
○10兆円基金とエンダウメント
10兆円基金が発足したのは昨年11月に行われた総合科学技術・イノベーション会議で安宅和人さん(あのシン・ニホンで有名な安宅さん)が、他国の大学にはエンダウメントがある一方でそれが日本にはなく、この事実が日本の科学技術の資金力の拙さに繋がったのではないかと指摘し、これに対抗する策として財投債を原資とした10兆円基金が提案されました。それが今日の10兆円基金概算要求に繋がったと考えられます。
ではそもそも他国の大学におけるエンダウメントとは何かについて説明しましょう。エンダウメントとは本来「寄付」を指す単語です。つまり卒業生や企業からの寄付金を原資として、数兆円規模になるそれを市場などで運用することで利益を生み出し、そしてその一部を奨学金や大学の運用資金、研究費などに活用することを目的とした基金のことを指しています。またエンダウメントは世界屈指の優良投資家として知られ、世界の機関投資家から尊敬を集めています。普通の機関投資家が通常3~6%程度のリターンしか得ていないところ、イェール大学やハーバード大学のエンダウメントは10%付近と、大幅に上回るリターンを得ています。このような巨額の資金を運用した上で他のプロ投資家たちより抜きんでたパフォーマンスを上げるエンダウメントによって、アメリカの大学は世界に冠たる名声を縦にしてきたと言っても過言ではありません。またエンダウメントは、オルタナティブ資産という「変わった」資産に投資することで有名です。道路や橋といったインフラ、ベンチャー企業、アブソルートリターンと呼ばれる種類のヘッジファンド、果ては森林資源など、日本では聞いたことのないような「変わった」資産に投資することで、高いリターンを叩き出しているのです。
さて10兆円基金構想に戻りますと、簡単に言えば日本でもこれを行おうということです。日本の場合だとそもそも寄付文化が根付いておらず、貧弱なエンダウメントしか作れないことから(東京大学はそれでも頑張って20年で800億円規模のエンダウメントを作り上げました)、政府はまとめてこれを作ろうと考えたわけです。さてここまで聞くと、なんだか失われた20年からやっと国際競争で伍する日本を目指して時計の針が動き始めたようにも思えます。私としてもないよりは全然良いと思いますが、一方でそうは問屋がおろさない事実があることもまた示したいと思います。
○10兆円基金の死角
私が感心しない一番の点は原資が財投債であることです。つまり債券を発行して調達した資金を元手に、これを株式や不動産などの購入に充てることで運用益を得るということですが、これはエンダウメントの利点を完全に殺してしまっています。GCIアセットマネジメントの山内英貴さんという、日本のヘッジファンド業界における第一人者とも呼べる方が書いた、「エンダウメント投資戦略」という本によれば、大学運用基金の最大の利点は「返さなくてよいこと」だとされています。つまり他の機関投資家であれば、最終的に「誰かに返すお金」であるわけです。例えば年金基金は被保険者、生命保険も被保険者、ファンドも投資家、と全て最終的には「他人のお金」です。他人のお金と言うのはリスクと損失を厳密に管理しなければいけませんから、資産が何%値下がりしたら売らなければならない、資金をどんな資産に何%振り分ける、この種類の資産にしか投資しない、などと細かく決まっています。しかしこうした縛りはそれゆえの損失をもたらします。例えば株式市場は国の経済が成長する限り回復するのが常です。コロナショックで大暴落したアメリカの株価は、数か月後にはケロッと全て忘れたかのように回復しました。リーマンショックでの暴落も同様で、暴落しても手放さなかった投資家が一番儲けたというのが実情です。しかし他人のお金で投資する人間は、必ず手放さなければならない。この10兆円ファンドもあくまで市場から資金を調達する以上、そして国がその基金を管理する以上、その運用ルールはやりすぎなほど厳格に定められることが必定でしょう。しかしイェールやハーバードの基金は、そのようなルールを気にしなくてよいので市場が回復するまで待つという選択肢があります。さらにそうした運用の自由は色々な資産に投資することを可能にします。森林資源などの「変な」、しかし高い利回りを得られるオルタナティブ資産に投資することは、他人のお金ではなく自分のお金で、自由に、長期的な目線で運用するエンダウメントだからこそできるものなのです。
従って財投債を原資に運用することになる10兆円ファンドが、こうした長期視点で素晴らしいパフォーマンスを出す海外大学のエンダウメントに勝つことは非常に難しく、さらに運用対象資産が株式や債券などに限られてしまったときには、GPIFなどを見ていると市場平均より高いリターンすら望めるか怪しい。本来であれば国税を投下して基金を創設し、疑似エンダウメントを作ることが望ましいですが、そうなると話が分からない他の政党や知識が足りないのにしたり顔で批判する特定の界隈が反発することは避けられないはずです。ただそうした人々の反対を覚悟してでも、真に望ましい政策をすることが政府の使命です。リスクを覚悟せずに中途半端で海外の「擬き」を作るよりは、より忠実な「模倣」をすることがこの国に真に必要なことです。
○備考
この記事の主張で大きな準拠となっている山内英貴さんの「エンダウメント投資戦略」は、個人投資家がそうしたエンダウメントの投資戦略を実践するにはどうしたら良いか、というところまで書かれた、読みやすく内容も濃い本ですので是非参照頂きたいと思います。私自身山内さんと関係はなく、ステマではないので安心して読んでください。