なぜ立憲は自民に勝てないか?
○本記事の狙い
約一か月前に安倍前首相が持病である潰瘍性大腸炎の悪化を原因にその職を辞しました。これに当たって与党の自由民主党は総裁選を開きましたが、その注目の一方で同時に開かれていた立憲民主党の代表選は人気番組の裏番組よろしくあまり注目を浴びずに終わりました。また政党支持率でも自民党からは大差をつけられており、立憲民主党の支持率は年々下がっていく一方です。
さてなぜ立憲民主党が支持されなくなっているのでしょうか。これでは自民党に勝つどころではありません。数日前に毎日新聞の政治プレミア欄において、「与党に対抗するために野党は何をすればよい?」という記事が公開されました。これに対して記事に付随するコメント欄では主に立憲民主党にあてはまる不満の声が主にみられましたが、それらは「何をしてくれるかが分からない」「政局ばかりで国民を向いていない」など大多数が同じような、しかし立憲民主党の本質的な問題点をついていたものだったように思います。つまり「立憲がなぜ自民党に勝てないか?」という問題は、「何をしてくれるか分からず政局ばかりである」ことが既に答えとして出ているわけですが、この記事ではこうした意見と少し違った視点、「ではなぜ立憲民主党は何をしてくれるか分からず、政局ばかりなのか」という視点から、仮説をいくつか出してみて立憲民主党の現状が何に起因するのかを精査してみたいと思います。
○なぜ立憲は対抗政策を出さず政局ばかりなのか?
・仮説1「実はもう出している」
実はすでに出しているという仮説はあり得ますが、正直この仮説が成り立つとは言えない状況だと思います。立憲民主党ホームページでは党首選の頃に政策のページがあったのですが、2020年10月12日現在ではそれが削除されている模様です。党綱領では目指す社会像を提言しているものの、ではどのように行うか、So What? の部分が残念ながら欠けています。また立憲民主党の You Tube チャンネルにおいても政策に関する動画はありませんでした。他媒体では存在するのかもしれませんが、少なくとも公に縦覧せらるるためにはホームページの公開が望ましく、その点で「実はもう出している」という主張がそこまで正当性があるとは考えられないものだと言えます。実際自民党はホームページ上で重点政策のみならず、2019年・2017年に出した政策パンフレットも見ることが出来ます。共産党も同様に政策をテーマ別に公開するとともに、2019年・2017年に出した政策の公開も行っています。一時的な不具合も考えましたが、残念ながらそうした告知もホームページ・Twitter等で見ることはできませんでした。
・仮説2「政策提示より政権批判にインセンティブ」
これはかなり有力な仮説だと思います。例えば立憲民主党が次のように考えていたと仮定します。
大目標は政権交代
→そのためには選挙で勝つ必要性
→選挙で勝つには知名度が重要
→メディア露出が最重要
→政策提言はメディアだとあまり取り上げられないのでメディアが特に映したいと考える対決構図を見せる
こう考えると政策の提示より政権批判にインセンティブがあります。メディア側は政権を批判することを使命と考えているので、政権批判の材料を集めようとします。野党が批判する姿もその裏付けとして使うため、メディア側のインセンティブから考えてもこのような思考様式を立てることは自然でしょう。選挙で勝つには知名度が必要だ、ということも今まで継続的に当選してきた議員で構成されている野党からすれば、最も選挙で重要なのは政策ではないと考えることもある程度の合理性があると言えます。立憲民主党の安住淳議員などが立憲民主党の党首選を取り上げるようにメディアに対して苦言を呈していたのも、あくまでメディアの報道内容を考慮して立憲側は行動を決定しているからだと考えられます。
また蛇足ですがこのモデルに「メディア側が消費者のために政権批判だけでなくバランスを取ろうとしている」という仮定を置くと、なぜ右派からも左派からもメディアが批判されるのかが分かります。右派からすれば今まで同様、メディアが政権を批判したいときは野党の発言ばかり垂れ流すわけですから、「野党とメディアが結託している!」となる。一方で左派からすれば野党側の政策を流さないにもかかわらず、政権側の政策についてはメディアが消費者が望んでいそうだから取り上げるので「メディアは政権寄りだ!」となる。特に消費者の党派性が新聞などよりも遥かに薄いテレビ放送では、より広範な視聴者の獲得を目指してバランスを取ろうと考えるでしょう。
ここで注意したいのはあくまでメディアがちょうど真ん中を狙ったから左右から攻撃されている、という単純な論理ではないことです。野党の行動がメディアの行動の従属変数である一方で政権の行動がそうではないという構図が、左派のフラストレーションとメディアと野党が結託しているという右派の誤解を生んでいるのです。もちろん左派の「メディアが政権寄り」と言うのはメディアがバランスを取ろうとする行為に起因していますが、それよりも前述した構図がそもそもの原因だと考えます。
・仮説3「実は政権に対抗する政策が打ち出せない」
実は私の大本命の仮説がこれです。立憲民主党は対抗する有効な政策、特に国民が最も重視する経済政策の分野において与党自民党を凌駕する政策が打ち出せないのではないかということです。しかしこの「対抗政策を打ち出せない」というのは、何も立憲民主党の能力が不足していることのみを指していません。むしろ「構造的に」「誰が野党でも」経済分野における有効な対抗政策を打ち出すことはかなり難しいと私は考えています。この理由について以下述べていきたいと思います。
<自民党の政策>
与党自民党は2012年の政権交代時から、大胆な金融緩和・機動的な財政政策・民間投資を喚起する成長戦略を掲げてきました。一般の人からすればこれはキャッチ―なだけで今までの経済政策と何ら変わりがないように思えます。しかしこれはよく考えると、景気を改善する政策としてこれ以上有力な政策はないと考えられるのです。これを読み解くにはマクロ経済学の初歩知識が多少必要になります。
<マクロ経済学の初歩>
まずマクロ経済学では国の経済に関しての生産要素市場・生産物市場・貨幣市場の3市場に分解して考えます。多少語弊はありますがこれらは、「商品やサービスを提供するには人(労働)とモノ(資本)をカネと交換する」という生産の過程、「カネを誰が使い、どこに使われるか」という売買の過程、「手段であるカネの量の変化はどのような影響を及ぼすか」というカネの性質を表していると考えてください。
さらに詳しくそれぞれを見てみましょう。
まず生産要素市場から考えます。商品やサービスは人が道具を使って作り出します。ゆえに人が多くなればなるほど、道具が多くなればなるほど商品やサービスは多く生産できると考えられます。しかし道具や人の量が増えなくても商品やサービスを増やすことはできます。マニュアルを使って効率化したり、IT技術を導入することでより効率的な商品やサービスの提供ができるようになったりすることはよくあるでしょう。これを経済学では全要素生産性という言葉でひとくくりにしてしまいます。誤解を恐れずに言えば「知恵」の増加による生産の向上という言葉が相当するかと思います。
次に生産物市場を考えましょう。「マクロ経済学」は「マクロ」と名がついているように大きな視点、つまり国全体の経済がどうなっているかを考える学問です。従ってここでは「誰が消費するか」という主体を、個人(家計)・企業・国・外国(貿易)の4つに分けます。ここで注意したいのは「全ての収入は最終的に個人に帰属する」ということです。例えば国が道路を作ったとしてそのお金を払う先は建設会社です。しかし建設会社は従業員にお金を払います。建設機械にお金を払うかもしれませんが、それは最終的に機械会社の従業員の懐に入ります。部品にお金を払うかもしれませんが、それは最終的に部品会社の従業員の懐に入ります…と延々と続けていくと最終的にはお金の配分先は国民全員になります。もちろん会社がお金をためている可能性はありますが、実際それは国の経済から見るとだいぶ小さいとみることが出来ます。
最後に貨幣市場ですが、ここでは貨幣の性質について3つ押さえます。一つは「カネが増えるとモノの値段は上がる」。一つは「カネが増えると借金の利子は下がる」。最後は「自国のカネが増えると、他国のカネと交換するにはより多くの量のカネが必要になる」。どれも当たり前かもしれませんが、特に二番目については個人の住宅ローンや企業が経営のために借金をすることを考えれば、非常に重要な性質であると考えられます。三番目も他国からすれば少ないお金でモノやサービスを消費することが出来るようになるので消費が増えます。
<日本の問題点>
ではこうした区分で見た時に今までの日本は何が問題だったか。生産要素市場における問題点は、対内直接投資停滞と少子高齢化による労働人口減少でした。要するに日本はもう衰退するのだから工場や設備に投資しても意味がないと考えられて資本が伸び悩む。そして人口が減り、働けない高齢者が増えていくことで労働者が減少する。これによって生産は縮退に向かいました。生産物市場では貨幣市場の影響を受けて海外の需要を取り込むことが出来ず、消費や投資も伸び悩む。政府だけが支出を増やしても仕方がありません。しかも旧民主党政権が掲げた「コンクリートから人へ」という政策は子供手当の増額などの給付政策が多く、一部が貯蓄に回ってしまうことから直接工事を発注することなどよりも、乗数効果から見て小さいものばかりでした。つまり自民党政権時よりも政府支出の景気に対する影響が小さくなってしまったのです。これに関しては個別の政策評価も併せて行う必要があり一概に良し悪しを語ることはできませんが、少なくとも旧民主党政権の行った政策が景気を浮揚させられなかったことは火を見るより明らかだったのは間違いありません。貨幣市場での問題点は中央銀行とのアコーダンス、協調政策が上手くいかなかったことでした。もちろん中央銀行は政府との独立が不可欠ですが、現状を打開する策として大胆な金融緩和は賛否両論あるものの、総合的な観点に立てば不可欠だったと言えるでしょう。
<アベノミクスの狙い>
長くなりましたがこれらを頭に入れながらアベノミクスを見ていきましょう。まず「大胆な金融緩和」は日銀がお金を出しまくることで、借金の利子を下げて個人の消費や企業の投資を奨励しました。また外国の人々が日本に来て旅行したり、日本製品を買おうとする動きに繋がったりしました。このような需要の面からアプローチしたのがアベノミクス第一の矢でした。次に「機動的な財政出動」ですが、これは国が必要な時にはお金をドーンと出して、そうではない時は支出を絞るということです。これが良く誤解されがちで、よく理解してない人からは「アベノミクスは積極財政だ」「いやいや緊縮財政だ」と言われますが、実はそのどちらでもなくメリハリをつけているだけです。なぜ国が常にお金を出しまくるわけではないかというと、理由は主に2つあります。一つは個人や企業を圧迫しかねないこと。これは例えば国が建物をいっぱい建てると、建設会社がそれにばっかり取られて個人が家を建てたり企業が建てられなくなる、と言ったことです(あくまで譬え話です)。そしてもう一つは非ケインズ的効果です。これは借金をしないと支出ができない国ではそうした支出が持続可能でないと国民が見て、それに備えるために消費や投資を控えてしまうから、逆に歳出を削減すると人々が安心してむしろ消費や投資が増えるという現象です。つまりある程度持続可能な財政を行わなければ、結果的に景気に悪影響が出て本末転倒なことになりかねない恐れを避けるために財政の健全化が同時に行われてきたと考えられます。これらが理由でアベノミクスでは常に借金を増やしまくって支出を増やすことはしていません。しかし必要なときには支出を増やすことで景気を下支えして、経済成長を止めない役割を果たしました。最後に「成長戦略」ですが、例えばこの中には一億総活躍などがあります。女性もお年寄りも働ける人に働いてもらう、そのための再雇用制度や男性の育休取得奨励などと言った労働力を増やす政策を取りました。この結果大幅な人口減少と高齢化(働かない人が増える)に対して限定的な減少にとどまっています。つまり生産要素市場に効果的なアプローチをすることで、高まった需要に適切に対応し結果的に国民全体の所得を上げるというのがアベノミクス第三の矢でした。
<まとめ>
このようにマクロ経済学的な分析をして、日本の問題点である需要の弱さや高齢化と人口減少による労働力不足を解消しようとしたのがアベノミクスでした。つまりしっかりとした学問的な裏付けがあり、ある程度の効果をアベノミクスがあげていたことは多くのマクロ経済学者が賛同するところです。詳しくは東京大学の星教授とコロンビア大学の伊藤隆俊教授が対談したTokyo College の動画が説明しています。「伊藤隆俊×星武雄『日本経済』連続Web討論アベノミクスの成果」という2本の動画です。
ここまで述べたようにアベノミクスは、目指す方向性という観点でだいぶ完成度の高い政策です。もちろん先述したお二人が動画内で仰っているように成長戦略での突破力に欠けたことは否めません。しかし先般発足した菅内閣は「安倍内閣の継承と前進」、そして「規制改革と縦割りの打破」を掲げています。つまり菅首相自身アベノミクスの修正点を把握していることに他なりません。では果たして野党が、そして立憲民主党がこれに対抗することは可能でしょうか? 田原総一郎氏などは毎日新聞の記事において、対抗する経済政策を作れば政権交代が容易であるような示唆をしましたが、実は経済政策が一番付け入る隙のないところなのです。「構造的に」「誰が野党でも」アベノミクスの政策を上回ることはなかなか容易ではありません。いやいやそんなことはない、アベノミクスで実質賃金は下がっている、政策も消費税の廃止など他にあるではないか、と主張する人は色々現実を無視しているのですが、それはまた違う記事で説明したいと思います。
○結論
おそらく仮説2と仮説3が現実では複合的に作用して、「立憲民主党にとって政策提示より政権批判を行う方が良く」「重要な経済政策で対案が出せない」という構造が生じ、「立憲民主党は何をしてくれるか分からず、政局ばかり」という状況が生み出されているのだと思います。仮説は3本しか出していないので粗くしか検討できていませんが、そもそもこの状況を打破することがかなり難しいことは把握できたと思います。このことを左派の人々、立憲民主党の人々が認識しない限り、彼らの言う「国民は騙されている」という状況は続くと思います。しかし昨今の日本学術会議の任命拒否をめぐって左派の人々は現政権を反知性的と述べ、前政権においても知性という言葉を持ち出してやり玉に挙げていたわけですが、経済政策という核心でマクロ経済学も分からずにアベノミクスを批判しているのは何とも反知性的で皮肉としか言いようがありません。
願わくば健全な政策論争が行われる未来が到来して欲しいものです。
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