EBPMとGoToトラベル

UCLA助教授の津川友介氏が先般GoToトラベル利用と新型コロナウイルス症状を自覚が相関しているという趣旨の論文を発表しました。同論文は12月16日現在時点で査読を受けておらず、なおかつあくまでこの論文はあくまで自覚症状アンケートの結果に過ぎないことと相関関係を示しただけにすぎず強力な政策決定の準拠にはならないという注釈はつくもの、この論文の与えた影響は大きいものがあったと思います。
例えばこの論文を引用してGoToトラベルが感染拡大の原因となっているとするメディア報道がなされるだけではなく、野党ヒアリングにおいても立憲民主党の議員がGoToトラベル追求の論拠としていました。

しかしここにはいくつかの論点が存在します。とりわけ今回は、この論文を政策決定の論拠としてよいのか、本来はこの論文から何が言えるのかというこの二点に絞って議論したいと思います。

○論文と政策決定

結論から言えばこの論文を基に政策決定を行うことは間違いだと思います。まずこれはアンケートによる自覚症状がGoToトラベルの利用と相関していることを示しているにすぎず、そもそも実際に新型コロナウイルスに感染しているかどうかを示したものではありません。さらにこれは相関を示したもの、乱暴に言ってしまえば似通った動きをしていることを示したものに過ぎないのです。例えば先般バズッたTweetでニコラスケイジの出演映画本数とアメリカにおけるプールの事故件数は相関しているというのがありました。両者の間には何の因果関係がなくとも数字の取り方などで相関関係があるというのはいくらでも存在するものです。だからよく家庭向け医療番組で「○○を食べるとよい」というものがいくらでも出てきますが、実際そこには「○○を食べた人が」「死ななかったor長生きした」という事実しかなく、それを信じるのはまじないや祈祷を信じるのとあまり大差ないのです。

もちろんだからと言ってこれが論文としての価値を全く持たないということは保証していません。ある分析が論文としてまとめられ、査読を受けることである程度の保証された知識として流通し、それが実践と批判にさらされることで事実関係がより詳細になっていく知識創出の過程において不可欠な論文だということは間違いありません。ここで否定されているのは政策根拠としての価値です。
政策根拠としての価値は、おそらく政策判断による便益を最大化させる手段やその便益自体を推定するための一助になりえるかどうかというところにあります。つまり例えばコロナの感染拡大抑止という課題があった時に、都市を封鎖するという手段はどれだけの感染抑止効果があるのか、そしてどれだけの経済的な打撃を与えるか、あるいはどれだけ都市封鎖によって生命に直結する悪影響を被る人がいるかなどを調査するシミュレーション、あるいは過去の政策結果は非常に重要な根拠となりえます。
しかしこの論文自体はGoToトラベル自体が感染拡大にどれだけ寄与したかを説明した論文でもなんでもありません。従ってこれを基に議論することは間違いです。だからこれを基にしたメディア報道や観光庁職員の「因果関係を断定的に示している論文ではない」という回答に対して「断定的におっしゃっています」と全く議論の噛みあっていない話をする立憲民主党の某議員の発言は、何も知らないことをさらけ出しているものだとすぐにわかるでしょう。

○本来はこの論文から何が言えるのか

この論文からは「GoToトラベルを停止するべき」という結論は出ませんが、本来ならばこの論文を基に「政府は感染者に関するデータ取得と共有を積極的に行うべき」という追求ができるはずです。本来GoToトラベルの存廃に際して重要なことは、「GoToトラベルが感染者を増加させているか否か」です。現状感染者が増加するほど重症者・死者が増加しているため、やはり感染者を低減させていくことは重要だと考えられます。従って精密なGoToトラベル利用者とそのCovid19罹患率を調査すれば、GoToトラベル存廃に関する重要なデータの一部が取得できます。さらにGoToトラベル利用者がどれだけ感染者を増やしているか、その実行再生産数が観測できればGoToトラベルの二次的な感染拡大に対する影響を知ることができます。また重症化しやすい属性のGoToトラベル利用者がGoToトラベル由来の罹患者の中でどれだけの割合を占めているか、という情報も重要で、重症者の増加が本来のKPIであることから考えてもそれらを把握すれば頑健な論拠を以て政策の是非を判断することが可能ではないかと考えられます。もちろんそれらの値は直接観測可能なものとは限らず、やむを得ず代理変数を用いる可能性は排除しません。
しかし現状ではそうしたデータが不足しているのみならず、データの共有が研究者に対してなされていないという問題があります。話題の論文はあくまでネットアンケートのしかも自覚症状の申告という極めて限定的な調査に頼っています。もし行政が持つより精緻な情報が研究者コミュニティに共有されれば、より精緻なデータを基に政策判断に必要なより強力な結果を得ることができるかもしれません。ゆえに著者の津川氏も行政に対してより多くの情報共有を求めています。
ただ一方でこれには個人情報保護という大きな壁があります。そもそも罹患者の追跡調査は保健所が電話をいちいちかける(たぶん?)アナログな形で行われているものです。接触確認アプリの活用を盛んに言う研究者もいますが、そもそも接触確認アプリCocoaは個人情報を何ら取得するものではなく、設計思想としても個人情報の保護を大前提としたものです。接触確認アプリCocoaの開発責任者たる平将明衆議院議員は、政府が個人情報を取得することを回避したうえでインストールや感染した旨の共有は個人の裁量に任せる設計思想になっているとも仰っています。
データを基にした政策というのは非常に聞こえは良いのですが、いくつも論点が存在して、とりわけ個人情報保護に現在与党の自民党は極めて強い価値を置いた政策をしており、それはある意味で抵抗力となっているという現状があります。
台湾や韓国、中国や欧州といった国々では非常事態ということで極めて強い個人の権利の抑制、そして個人情報の取得が行われています。諸外国を盛んに褒めたたえる風潮が存在しますが、それは個人の権利の制限と表裏一体であることを忘れてはなりません。本来この価値判断は国民が適切に意識することが重要ですが、それを意識しない人間があまりにも多いように思います。感染抑止のためなら行動履歴など無制限の情報取得を行政に許すのか、それとも匿名化や事前同意を含めたデータ取得とするのか、それともデータの取得を避けて個々人の努力と規範意識に期待するのか。もちろんこれを国民に問わない政治家を問題視することは当然ですが、そもそもこれを考えていない人間がやたらとエビデンスに基づいた政策が重要だ、と語るのはちゃんちゃらおかしいと言わざるを得ないでしょう。
もちろんマンパワーが不足しているがゆえにデータの取得が物理的にできない上に専門家人材も不足していて検証ができない、データ共有の仕組みが整っておらず迅速に取得できない点も、現在政策決定における課題だと言えるでしょう。ゆえにデータ取得のためのマンパワーの確保、データ共有の仕組みと画一的なフォーマットの構築、データ解析のための専門人材確保も個人情報保護に関する仕組みづくりと合わせて行う必要があるでしょう。
本来はこうしたEBPMの体制づくりに関する課題意識というものが共有されるはずなのです。

ただこのような全体を踏まえた議論を行っている研究者やメディア、野党の議員は現状見かけませんし、与党の議員ですらこうした話を議論しているのはごくごく一部の議員に留まっているのが現状だと思います。また理解している与党議員も積極的な議論と発信を殆ど行っていないように見えます。
新型コロナウイルス拡大抑止に何ができるかという問題は非常に重要ですが、そもそもその判断に必要なものが何かという問題を放置するようではメディアも野党も与党も研究者も、程度が知れるというものです。

○追記(12/17)

GoToトラベルと感染拡大抑止の因果関係と政策判断について丁寧に議論した記事を見つけたのでリンクを貼ります。これを見れば政治の側に今求められているのは、政策意図を丁寧に伝えるメッセージの力だということが良く分かります。政治はどういう目的で何をしているのか、そしてその政策が最大限効果を発揮するためには国民に何をしてほしいのか。現在の政策は全く悪いかというとそうではなく、仕方ない側面も多くあるのですからそうしたメッセージの仕方をもっと工夫できれば良いのかもしれないと思っています。



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