こうもりのせかい/ドーム公演によせて#2
ENHYPENの2023/11/22の京セラドーム公演のレポートになってない感想文、その二回目。
前回はこちらです〜
Vampireという設定のあるENHYPENのコンサート。
蝙蝠に化けることもできるというVampireと絡めて、彼等からのパルスを受けて、自分の輪郭が見えてきたオーディエンスの一人の感想です。
改めてセトリ
ENHYPENのアルバムを聴いていて思うのが、どれも活動曲でおかしくないんだけどなぁ、です。
you tubeでのMV再生回数が平均しているの、ENHYPENの特徴な気がします。
言葉が悪いかもですが、一発屋みたいなヒットはなくて、アルバム満遍なく聴かれているという。
活動曲はストーリのある「続き物」なので、MV気になったら全曲観るっていう流れになりがちかな、とも。
そもそも昔のようにシングルだけの音楽媒体が主流ではないし、1曲に重みがあるのは、チャートと音楽番組だけな気がします。
(気に入った曲をリプレイ繰り返して聴くのはいつの世も変わらないですが、プロモーション的に1曲だけに集中する時代ではないという意味。)
そういうところに「次世代」を感じている私としては、ENHYPENの楽曲は「次世代」にガチだなと思います。
spotifyでグループとしての再生回数が記録的最速だったのも、全曲が満遍なく聴かれている、曲だけが一人歩きしていないグループの証左かと。
セトリを改めて攫うと、ほんと曲が良い。ライブに欠かせないだろうという楽曲も実感しましたし。
(脱線)ちなみに曲が良い、というと狭義で作曲者が良いという解釈になりがちですが、声と楽曲の調和がとれていて良いというつもりで私は書いています。
シンガーソングライターが崇め奉られがちですけども、そればかりじゃない世界をK-POPに見つけて安堵したところもあるんです。
作り出す才能と表現する才能はそれぞれに評価されていいし、別個だから広がる世界の深みや広がりって難しい分、贅沢な豊かさだと。
メイン活動曲のところだけ空欄にしてみました。
FLICKERからMix upまでの7曲の流れとOne in A BillionからMake the Changeまでの5曲の流れが、メイン曲のストーリーの間で華やかな色を放つ感じなんですよね。
メイン曲が非日常(バンパイアストーリー)なら、こちらは日常に寄り添った楽曲な印象。
SHOUT OUTはライブに欠かせない楽曲でしたね。
振付なくっても、躍動感があって、メンバーの声を楽しめる良い楽曲だなと、ライブだからこその高揚感がありました。
ライブはオーディエンスの熱量
ライブに行って思うことが、オーディエンスもそのライブを作り上げるんだよね、ってこと。
同じリズムに沸いたりしたその一体感だったり、オーディエンスの熱量がパフォーマンスの熱を引き出したなって感じる瞬間がある。
この京セラの時には、日本では声出しが許されていませんでした。
これに関しては、慎重であることも大切で、良いとか悪いとかのどちらかで語ることでも判断することでもない、と考えています。
声を出さずにどこまで楽しめるか、を考える方が先でした。
声を出せる場合、決まった掛け声があるんですよね?
K-POPに触れる中で、応援方法が決まっている、というのに驚きました。
ENGENE棒やスローガンなどのアイテムや、楽曲ごとの「掛け声」。
オーディエンスの一体感をそうやって演者側が作り込んでくることに、驚いたといいますか。
ちょうど来日を楽しみにしていたthe 1975のマシューが問題のある発言で非難されて目に入った言葉に、「抑圧されたオーディエンス」というものがあったんですね。
(問題のポッドキャストを聴く気にはなれず、SNS上での日本語訳で見た程度なので、文意が違うかもしれません。マシューの問題をここで論じる気はないです。
ただ、抑圧されたオーディエンス、という表現には何か納得してしまったということ。)
アーチスト側が日本のオーディエンスを特殊と思っているというのは、今に始まったことではないですし、海外公演の様子も映像で観れるので、納得というか。
暴れる方がいいとか、大声あげるのが良いとは思わないですが、楽しい、っていうことを、アーチスト側に積極的に示せないのが日本のオーディエンスだと私は感じてきたので。
それを「抑圧された」と表現することは、あながちハズレではないと。
ENHYPENのManifestoで気づいたのが、そういった自覚していない抑圧から解放されるには、色々な仕掛けが必要なんだ、っていうことです。
その仕掛けが、公式が用意してくれるものだから、安心して楽しめる。
ライブでの楽しみ方がわからなくても、公式にしたがっていれば場違いにならなくて、オーディエンス全体との一体感も楽しめる。
そうなっちゃうと、楽しみ方のわからない洋楽のライブより、楽しみ方を用意してくれているK-popのライブの人気ってあがるわけだと。
私は日本で楽しくって最高と思うライブに何度も通えてるから、全部が全部「抑圧されたオーディエンス」ではないことも知ってます。
ただそれは、自分たちのファンを育てることのできたアーチストのライブ。
つまり回数多くライブをやってきて、ファンが現場慣れして楽しみ方を見つけたライブなんですね。
そうなると新規ファンでも会場に入れば、雰囲気で掴める。アーチストも煽れば決まるポイントもわかっていて、そこをわざと外して盛り上げる等の「やりとり」も生じます。
ただそれって、数年に1回の来日公演の海外アーチストには難しいこと。
ManifestoはENHYPENにとって初めてのワールドツアー。
なので、至れり尽くせりは、ENHYPENにとってもENGENEにとっても必要なことだったと思います。
この先はENHYPENだからこそという熱量をENGENEが自ら発することができるようになるか、なんだろうなと。
Manifestoは良いライブでした。
そのManifestoというタイトルに相応しい、最初の一歩というライブ。
だから、次のライブではこれを超えてくるだろう期待は上がります。
ENGENEはENHYPENと一緒にグローバルに成長できるのか。
会場にいるだけで、初見でも楽しみ方が肌で感じられるようなライブするようになっちゃったら、チケット入手は一層大変になっちゃうかもなぁ。
ああ、結局、ライブの感想って言いながら、メタい話に終始してしまいました。
きっと、ライブレポートとかで期待されているのって、誰それのパフォーマンスがどうとかこうとかだと思うんですが、私にはどうもその視点がないみたい。
ENHYPENというチームを示すためのライブだったと思うんです。
(まさしく、マニフェスト)
オーディションで組むことが決まったチームで、プロデューサー陣が描いていたコンセプトを学んで、自分の中から出てくるものを磨いている段階。
オーディエンスのリアクションは、何を磨くかのヒントでもあっただろうと思います。
録音とは違う歌い方、番組収録とは違うダンスの見せ方、そういった違いが必要かどうか。会場の雰囲気で変えた方が良いものもあるかもしれない。
私的には、今回のライブでも一貫して伝わってきた丁寧さが醸し出す「品性」に磨きがかかったら、物凄い迫力になりそうだなと感じました。
ああ〜次のワルツでも一回はチケット手にできますように!!!