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絶好調という無自覚

「火天大有」(前略)こわいものなし、邪悪は退散、願いごとはことごとく叶う勢いです。ただ、生まれも育ちも立派すぎるため、人情の機微や弱さ、哀れにまで理解が及ばず、臆病者や小心者、隠し事がある人は 断罪されてしまいます。太陽光線が明るすぎるために吉凶の輪郭がくっきりし、微妙な心のひだが消えてしまうからです。

中津川りえ『立体易占術』

父の本棚に『易入門』(黄小蛾)という本を見つけたのは六年生の時である。カバーでタイトルが見えなかったので開いてみたら、挿絵が可愛く、読んでみたらとても面白かった。それぞれの卦のキャッチフレーズをあらかた覚えてしまうほど読んだ。大人になってその本を探してみたが絶版で、いろいろ易の本を読んだ中で通じるものを感じたのが、『立体易占術』である。

この本もわかりやすいのだが、理解しきれないところもあった。たとえばこの「火天大有」、「こわいものなし」で「願いがことごとく叶」って、それでいったい何が問題なのだろう。その意味がぼんやりわかったのは十年くらい後のことである。以前別れた人と年月を経てまた付き合うようになり、今こんなにうまくいっているのに、前はなぜ、と埒も無いことを考えていた時、はたとこの卦の文章が頭に浮かんだ。理由は一つではないだろうが、一番大きな理由はその頃の彼が絶好調だったからではないか、と。

我々の人生の中には、たいていその人なりの絶好調の時期、光が当たっているような時期がある。自分にもあった。ちょっと頑張ればいろんなことがうまくいくのだ。面白くて仕方がない。いて当たり前の存在はどうしてもほったらかしになってしまう。別に粗末にしているわけではないが無頓着になるのである。とはいえ、相手にとっては同じことだ。粗末にされている、と感じる人もいるだろう。その様子を見た第三者が失望することもある。私は、仲良くしていた友人に「なんで誰々に何々してあげないの。○○(私の名前)は冷たい」と言われてしまった。

では、気にかけられなくなった側はどうしたらいいのか。相手に自覚してもらわなければ始まらないが、それはなかなか難しいだろう。モテ期が到来した彼に古女房ならぬ古彼女が不満を訴えたら、言いようによっては「はい、次」となりかねない。だとすれば、この人は今そういう時期なのだ、と時が過ぎるのを待つしかない。一生光が当たり続ける人など滅多にいない。もっとも、我慢にも持ち時間にも限度があるのだから、「いち抜けた」 という選択肢もある。

いつかは終わるが薬はない。そう言ってしまえば身も蓋もないが、そういうものだとわかるだけで少しは楽になるのではないか。薬がない、あるいは効かない腹痛はイヤだが、原因だけでもわかれば救われる。原因すらわからない、では痛いだけでなく不安である。不安は痛みを増幅する。(2019.4→2024改)

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