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思い通りにならないことの喜び

でもね、思い通りにならないということは、思いがけない喜びがあることです。

松居直・中村桂子「生命誌・命の不思議の物語と絵本」(『言葉の力人間の力』)

この言葉は、児童文学者松居直氏(「うさこちゃん」を日本に紹介するなど、福音館書店の編集者としても活躍)と生物学者中村桂子氏が、人間の特徴は「言葉」と「手」である、ということについて語りあう場面で出てくる。話は機械の功罪(「ありがたい一方、手をかけることはもう馬鹿馬鹿しい。手を抜けるほうがすばらしいという価値観を創ったのです。」中村)から、手を抜くことはできないし、手をかけたからといって思い通りになるわけではない、子どもや生き物という存在に及ぶ。

この「思い通りにならない生きもの」という表現は、ただマイナスに聞こえるので、お母さまたちにお話する時は、「でもね、思い通りにならないということは、思いがけない喜びがあることです」と申し上げます。

(同書・中村)

とあるように、思い通りにならないものを相手に疲れたり悩んだりしているであろう母親たちへの励ましである。

もっとも、そういう悩みは動物や子供を育てている人だけのものではない。誰それにこうしてほしい、こうなってほしい、と自分の希望を人に乗せる人は少なくない。身近な人に対して「こう(自分の希望)なってくれたらいいのに」という気持ちを抱いた覚えのない人などまずいないであろう。希望で止まればいいのだが、こちらが勝手に期待しているにも関わらず、「なんで・・してくれないんだろう」と思い始めると悩みになる。

悩むという時点で、そもそも他人なんだから「自分の」思い通りになるはずがない、ということなど吹っ飛んでいる。基本的に自分以外は、いや自分ですら思い通りにはならないのだ。思い通りにならないことに気を取られ、そちらばかり数えていれば、つらくなるばかりである。そこで、思い通りになる相手からは得られないであろう「思いがけない喜び」に注目する。そんな手があったとは。

女はよく、「彼が何々してくれない」の類を口にする。のみならず、自分が望む形でしてくれることを期待するあまり、それ以外の形だと見過ごしてしまうこともある。いつも黄色い封筒で来る書類が違う色の封筒で来ると、あの書類は黄色い封筒に入っている、という思い込みから見落としてしまうのと同じである。「何々してほしい、って言った?」ときくと「言ってない」と答える人も少なくない。

もちろん、言ったからといってしてもらえるわけではない。自分も、言えなかったり言ってもスルーされたりして、思い悩むことばかりであった。しかしある時、相手の意外な行動に、「あんなこともこんなこともしてくれないけど、こうしてくれる人の方がいいや」と心の中でつぶやいたことがある。そんな言葉が出てきたことに驚いたが、あれも「思いがけない喜び」を味わっていたのであろう。(2020.10→2024改)

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