愛の鞭より悪意の飴
阿久悠が亡くなる半月前まで書き続けていた膨大な日記を、身近で15年仕事をした三田完さん、一人息子の深田太郎さんらが研究会を結成して解読した。本書はその研究成果を元にしたものである。ここに出てくる伊藤先生は小学五年・六年の時の担任の先生で、米粒を主人公にした作文を「きみの文章は横光利一を思わせる」と褒めてくれたという。愛の鞭については、「カラオケ審査用語の研究」と称した次のような文章がある。
限られた場では、このようなレベルに応じた配慮も可能であろう。しかし、家庭や会社など身近な場では、他人の人格を否定したりやる気を挫いたりするような言葉をぶつける際の、「あなたのためを思って」という免罪符が横行している。
だからこそ、愛ある叱責より愛のない褒め言葉の方がうれしい。もっとも、通じない愛よりは飴の方がうれしい、というだけで、愛が通じれば話は別らしい。しかし言葉を伝えるのも難しいが、愛を伝えるのも難しい。
さて。本題は「褒め言葉こそが人生のバネになるのだ」である。実際のところ、名をなした人たちが、人生の支えとして身近な人からの褒め言葉をあげることは少なくない。落ち込んだ時に思い出す、あるいは常に懐に抱いている、お守りのような褒め言葉。自分にとっては何であろうか。 (2017.7→2024改)
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