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そんな女だとは思わなかった、と言われても

「三年の間、わたしはずっとおとなしい女でしたもの。大旦那が白いと言えば白い、黒いと言えば黒い。(中略)--それにしても男の人って、どうして鸚鵡返ししかできない女が好きなんでしょうね」
「そういうわけでもねえさ」
「旦那は、懐の深いお方ですもの」

北原 亞以子「卯の花の雨」(『再会-慶次郎縁側日記』)

「慶次郎縁側日記」は、同心引退後、商家の寮番(別荘の管理人)となった慶次郎が、さまざまな事件を解決する連作集。「卯の花の雨」では、以前相談に乗ってやった女おしんと偶然再会する。おしんは、薬種問屋の大旦那に囲われていた三年の間にお金をためて、料理屋を出したという。その徹底した節約ぶりを聞き、よく男が愛想をつかさなかったと言う慶次郎に、彼女は「おとなしい女だったから」と答えるのである。

慶次郎と知り合った頃のおしんは、好きあって一緒になった大工に「そんな女だとは思わなかった」と離縁されたところであった。次に姑と子供のいる小売りの米屋の主人と祝言をあげることになるが、昼間だけ店を手伝うようになったある日、昼ご飯の鮭を皿ごと畳へ放り投げた長男を叱って破談になった。他人の子なのに、という姑に、もうじき自分の子になるのだから、「嫌いなものが出されたのなら、これは嫌いだと言葉で伝えられるように躾をさせてもらいたい」(同書)と手をついて言ったのだが。

「おとなしい女だと、自分が見かけで判断して間違えたくせに、あんな女だとは思わなかったって町内中に触れまわって・・。わたしだって、白いものを黒だって言ってる人を見りゃ、それは白だって言いたくなるんですよ」とおしんはすがりついて泣いた。

(同書)

その町に居づらくなり引っ越した先で、件の大旦那に惚れられたのである。話はそこで終わらない。今度は料理屋の客であった大工の棟梁が「おとなしいおしん」に惚れた。おしんは「わたしゃ棟梁に惚れているんです。(中略)また、そんな女だとは思わなかったと言われるんじゃないかと思うと、こわくってしょうがないんです」(同書)と、ついに店をたたんで逃げ出してしまう。それでも棟梁は探し当てたと聞き、慶次郎は、もう猫をかぶる必要はないだろうと言った。

わからなかった。この美しくて賢い女に、自分の言いなりになっていてくれという男の気持ちがわからなかった。

(同書)

私は美しくも賢くもない女であるが、「そんな女だとは思わなかった」と責められたことは一度ならずある。相手が私のことを自分好みの「○○な女」だと思い込んだ末、勘違いだった、ではなく裏切られた、と怒るのである。おいしい桃とおいしそうな桃が必ずしも一致しないことを知っていても、私たちはおいしそうな桃を選ぶ。彼らの勘違いを責めることはできないが、責められる筋合いもなかろう。

そもそも、言いなりになる女がよければ、「夜廻り猫」のラミーのような女を選べばよいのだ。もしかしたらそういう男はラミーのような女に惹かれないのであろうか。とにかく一定の割合で、「言いなりになる女が好きな男と言いなりにならない女」「言いなりになる女だと飽きる男と言いなりになってしまう女」という組み合わせが存在するようである。 (2018.8→2024)


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